返せ!

自称「ブヴァールとペキュシェの三人目」

2009-11-19

『身体 ――内面性についての試論――』,マルク・リシール,2001,ナカニシヤ出版

 実際、このような見方では、すべての問いは<誰>が身体を「持つ」のか、<誰>が身体で「ある」のかを知ることであり、したがって、どちらのあり方をした身体が他の人の身体ではなく「その人」の身体なのかを知ることだ、ということになってしまう。もちろん、この「誰」というのは「わたしたち自身」のことである。しかし、いったいわたしたち自身は、何者なのだろう。もし、この「誰」が身体そのものだったなら、わたしたちはわたしたちの身体について語ることなどできないはずであろう。わたしたちがそれであるところのこの身体は、ただひたすらに身体であることになってしまうだろうし、[身体を]持つことの極から切り離されてしまうだろう。身体は、自分にとって透明であるがゆえに、身体自身には見えないことになってしまうだろう。その理由の一つは、わたしたちが注意しても、たいていの場合身体は見えるものとはならない、ということである。身体は、さまざまな物の不透明さのなかの一種の光であることになるだろうし、いわば外科医がするように、物が見えるように、そしてより一般的には物が感覚されるように、物を切り開く「器官」であることになってしまうだろう。しかし、それは自分自身の影を残さない「器官」であってしまうだろう。したがって、ある意味では厚みのない身体であろう。結局のところ、身体があるためには持つことの極もなくてはならないのである。身体は不調や苦痛という形ばかりではなくて、より深く、そしてそれほど極端ではない仕方で、いわば普通経験における身体の厚みの痕跡という形で存在するのではなくてはならないのである。わたしたちが身体を「持つ」のは、わたしたちが「肉体的に」苦しんでいるときだけではない。身体のこの厚み、「受肉して生きる」場を経験のただなかで考えることができるのは、<身体のなか>に、身体を<はみだし>、<自分から逃げ出そうとする傾向のある>なにものかが存在するときだけであって、そして<そのなにものかとの関係によって、身体はいつも多かれ少なかれ、ある仕方で、あるいは別の仕方で、制限されて現われることになるだろう>。そして、まさに身体をはみだす<超過>のなかに、わたしたちがたった今語った形而上学的な諸々の問いが入り込むことになるのである。(p.7)

 わたしたちの身体が、少なくともその一部分が、<状況づけられて>現れるのは、つまり身体の運動そのものの感覚ギネステーゼ)と全身的な感覚(ケネステーゼ)の両方によって、さまざまな感覚そのものがひとかたまりとなって現れるのは、まさにこの超過との関係によってなのである。この状況においては、身体は、それ自身にとって全く透明になって消え失せてしまうどころか、身体そのものを超えるこの超過を自分自身のうちに備えているのであって、この超過は、伝統的には「体験」あるいは「心理的なもの」に結びつけられている。この意味で、身体は、生物の必要にいくらかよく適応し、そのうえ滅びやすく腐敗する道具である、というだけではなく、その現われにおいてどこまでも不安定で、揺れ動き、すぐに消え失せ、変化していくこの種の内面像でもあるのだ。身体のさまざまな現われは、身体が生まれてきたものであるのにもかかわらず、身体を腐敗しないことの側から引き出すのである。身体が身体であるのは、まさにこの身体がこの中間的な「身分」において、ここと今という事実上限界に挑んでいるということにあると言えるかもしれない。このことは、わたしたちがプルーストにならって語った記憶に関してばかりではなく、わたしたちが感性的と呼ぶような想像に関しても言えることである。想像において、身体は、ほとんど瞬間的に、望むところに、望むときに、「自分を運ぶ」ことができる。もちろんこのことは、このような移動を想像する人が、身体が「実際に」そこへ行ったなら感じることを自分のなかに発見したはずの人である、などということを意味しているのではない。ある国へ行く前にイメージの助けを借りてその国を想像しようとするときに、そして、その国にいながら、その国がわたしたちの想像していたあらゆることを超えていることに満足したり、あるいは、実際には想像以下のものであることを知ってがっかりしたりするときに、わたしたちが経験するのは、まさにこのこと[想像のなかで自分を移動させること]なのである。(p.20)

 こうした「正しい」狂気、つまり、制度化された宗教的秩序――世界社会の秩序――のうちに組み入れられた狂気は、<起源の分からぬ>超過した「状態」(世界の秩序や社会の秩序のうちにたえず不意に現われてくる葛藤)に対して一種の平衡状態を確立し直すという点において有効なのである。ここで古代神話学的‐宗教制度化を特徴づけているのは、疾病と災厄という超過が、神々からの授かりものである狂気の超過によってしか埋め合わされないということであり、この神々からの授かりものによって、今後、解決できる問題の秩序に属するものが加工され、発見されるのである。つまり、宗教儀式こそが、現在だけでなく、未来にもわたって――未来というのは、人が、呪われた者の死後の生命とともに、未来の世代をも含むことを予感しているものである――悩まされる呪いから呪われた者を開放するのに適したものなのである。ここで、プラトンは、神話学的資料と宗教儀式の資料との結びつきを考えるうえで、きわめて傑出した方法をわたしたちに提示している。それは、神話学的資料や宗教儀式の資料の制度化が、合理的なものや理性的なものすべてを超え出て、神的な「狂気」(mania)のうちに現われてくるという点で傑出しているのである。つまり、神的な「狂気」の霊感によってのみ、苦悩に満ちた問いは解決できる問題へと変えられ、そのことを通じて、十分明確な解決を要求する問題へと変換されるのである。(p.61)

 M・ダスキは次のように書いている。「ストア主義者にとっては、観察的な人間は内的な「深淵」に受動的に身をゆだねていて、人間という資格には値しない。人間という資格は、その人において深淵が脱自(extase)を培うような賢人にしか属さないのである」。この脱自というのは、幸福な生活である<全体>への脱‐自(ek-stase)(「自己の外にあること」)のことである。したがって、ストア派の禁欲は選択的である。それは思考を完成から分けることをめざしていないので、魂全体を二つの「性向」に分けることしかめざしておらず、その二つの性向が人間を、一人の賢人にしたり、一人の無能な者にしたりするのである。というのも、賢人はもともと「神に憑かれている」のであって、賢人を他から際立たせるのは理性(ロゴス)だけではないのである。なぜなら、人間の諸情念のなかには、はじめから堕落したものではあるが、理性がないわけではないからである。この意味で、賢人でないものの魂は病におかされているのである。なぜなら、その魂は「悪しき狂気」、つまり、魂を無秩序や不幸へと引き渡す狂気にとりつかれているからである。それに対して、賢人の魂は、本来的に神的である良き狂気に導かれているのである。(p.92)

 この動きのなかで最も注目されるのは、何人かの注釈者(ハイデガーもその一人である)が言うのとは逆に、このコギトが<特定の内容を持たない>ということである。コギトの唯一の内容は、存在するという事実的な確実性であって、この確実性はわたしのものであり、普遍的な懐疑の誇張のうちにずっととどまることはできないがゆえに、「そのつど」のものなのである。デカルトがコギトについて、「わたしは誰であるか」という問いかけに対し、わたしは「考えるもの」(rescogitans)であると答えるとき、一方では、まず、「もの」という言葉をなにかある特定のものという意味ではなく、「公のもの」(respublica)と言う場合にさしているような、特定されないものという意味で理解しなければならない。他方で、第二省察の第一部において、デカルトの歩みのこの段階では、思考はまた意思、欲望、想像感覚をも意味しているということに大いに注意する必要がある。したがって、きわめて注目に値することだが、コギトの経験においては、思考とは発生した最初の状態ではそれらいっさいのものであり、そこではいまだ実在と仮象、真理とまぼろしの区別はなされず、のちに魂の領分や身体の領分として規定されることになるものも身分かなままにとどまっているのである。たしかに、デカルトが第二省察において明らかにしようとするように、この思考はすべてのものが混じりあっているような「混乱した」思考であるが、この混乱とはまさしく、<存在の事実的な確実性という内的経験における魂と身体の融合状態>にほかならないのである。したがってこの次元には、非常に謎めいたことではあるが、わたしたちを形づくっている魂と身体の内的結合との出会い、さらには、わたしたちの経験と存在を偶然性のうちに形成するものが、混乱し、散乱し、もつれあったままに立ち現われてくるという現象との哲学的な出会い――おそらくこの出会いがこれほど強烈に体験されたのは西欧思想上はじめてであろう――が存在している。この意味で、フッサールデカルト現象学の真の先駆者と見なしていたのは正しいといえるであろう。なぜなら、デカルトは、わたしたちの経験と存在を形成しているものについて、両者を特定の象徴的な制度のうちに押しこめてしまうことになるような、いかなる形而上学的な前提ももち出されなかったからである。たとえすでに用語上の規定がなされているとはいえ、認識の問題、さらに客観的認識の問題は未解決なままにとどまっているということを決して忘れてはならない。(p.117)

 ニーチェにとって、生を肯定する特性は健康的なものであり、生を否定する特性は病と退廃である。後者では、「背後世界」における近づきえない「別の生」のために生を「軽視するような」形而上学的、宗教的な諸観念の彫琢が準備されるのである。したがって、ニーチェ敵懐疑にみられる破壊的な傾向のうちにはおしなべて、わたしたちの言葉で言えば、身体が受肉して生きている際の情感性と、身体を「肉から切り離す」排他的な超越性のため身体が軽視されている際の情念とのあいだのある種の非常に精妙な弁証法が認められる。そして同時に彼は、情念がおのれに固有の利益排他的に独占しているという、超過におけるこの逆説的な超過を告発するのである。力の意思は、それが「存在」全体の意思ではなく、他の諸存在を犠牲にした「一つの」存在の意思である場合には、倒錯的なものとなる。そのようなものが情念の怨恨なのであって、この情念は、捉えどころのない身体のうちにありながら、情念をはみだすあらゆるもの、能動的に否定するしかないもの、あるいはまた反動的に否認するしかないものに対して、おのれをおのれの欲望の唯一の対象と見なすのである。自らを貧しくするという犠牲をはらって、部分が全体をおのれの理由づけにしようとするわけである。(p.123)

『魂の美と幸い』,田島正樹,1998,春秋社

 搾乳をめぐる鏡像的関係が愛の意味を帯びると、幼児はもはやミルクによって飢えをしのぐだけでは満たされることができない。ミルクの源である愛そのものが与えられるべきだからである。ところが実際には、愛そのものが与えられることはなく、常に幼児は愛の不確かな兆ししか与えられない。このままでは決して満たされない幼児の要求は、攻撃性に反転する。ちょうど、金の卵を生む鶏に満足できなくて、ついにその鶏の腹を切り裂いてしまう欲張りのようなものである。(p.10)

 私がかたくななまでに叔父の意思に逆らったのは、思春期にさしかかって、みずから欲望の主体として自立するためである。他者の欲望を自己の欲望とするためには、私にその欲望を教えた他者を、どこかで出し抜かねばならない。さもなければ、私は永遠に、他者の支配から自立できないだろう。私が叔父の意思と亡き父の意思との対立を仮構し、そのはざまを利用して、非合理的なまでに自己主張(結婚拒否)を貫こうとするのは、叔父を出し抜こうとするためである。(p.24)

 それゆえ責任とは、厳密にいえば、責任能力のないことへの責任であり、あらかじめ持ちえなかった意思を過去に遡って持つことであり、主体がいまだ存在しなかったところに、結果から遡って主体を想定することだといえるだろう。反抗的な子供のせりふは、しばしば「生んで欲しいと頼んだわけじゃない」「こんな私に誰がした」という形をとる。教育は、「こんな私になることを欲したのは、いまだ存在していたはずのない、ほかならぬ私自身である」「生まれることを欲したのは私自身である」と断言する主体を生みだすことである。教育は、教育を欲したのだと断言する主体をあらしめることによって、教育自体を出し抜かせるであろう。(p.34)

 そうすると、パリサイ主義とは、労働を越えた労働の恵み、思惟を越えた思惟の恵み、現在を越えた将来の稔りに対する不信、すなわち希望の欠如を意味するものであることがわかる。それは、未来を先どりすることによって、その超越性を否認しているのである。未来の超越性を信じないから希望することができない。希望することができないから、待つことができない。ここから彼らのあまりにせっかちな断定、窒息するような狭量さ、豊かなもの、自由なもの、みずみずしいもの(超越的なもの)に対する嫉妬深い猜疑心、固陋なあげ足とりなどが生じるのである。(p.53)

 ひとつには人々が自分の誠実さを疑っているからであり、またひとつには王の権力の前に自分の不忠が発覚するのを恐れているからである。佞臣たちは自分を嘘つきだと信じているため、自分の見ている真実を嘘だと思わざるをえない。不在の衣は佞臣たちのみなに嘘をつかせるが、その嘘は寄り集まって軍勢をなし、それ自体を本当らしく見せ、嘘という衣に嘘の衣を着せるのである。以下同様で、嘘は二重三重に嘘であることを隠蔽し、隠蔽それ自体をも隠蔽することによって、結局は真実を隠蔽することになる。(p.106)

 王の衣はまさにその不在において力を発揮する。王の真実はまさにこのなかに、すなわち王の裸・王の無防備という事実のなかにあるのだろう。いかに王が権力や富や学識を身にまとっても、それらはいずれも不在の衣の記号であること、それこそみんなが知っておりながら誰もが知らないふりをしている事実なのだ。権力はみずからの本質を、その本質としての不在(裸・無防備)の抑圧と隠蔽自身にもっているのである。これが子供たちによって暴露されるのは、彼らが王の権力と欲望の磁場から遠く、みずから衣をまとう必要がないからであろう。しかも印象的なのは、いったん子供たちから裸だと見破られるや否や、王のあられもない裸はまことに哀れにも、まさしく衆目にさらされることになり、一挙にすべての偽りの帳が崩されるという点である。悪夢から覚めたように真実があらわになる。思わず笑いを誘うところだ。われわれがもし単なる読者ではなくて、臣下や子供たちに交じって事件の当事者であったら、いっそうその笑いは劇的なものとなるに違いない。ここにもあの<認知>と<逆転>のドラマがあるというべきだろうか?おそらくいうべきである。この突発的な笑いは、子供たちの発言による<認知>と<逆転>の瞬間からきているのである。すでにあらわであったはずの王のあらわさがあらわになり、すでに与えられていたはずの真理が、突然逆転と驚愕を伴って認知されるのである。ここであらわになるのは王の身体ではなく裸であり、あらわさ自体、あらわさのあらわさにほかならない。(p.107)

 それゆえ、徹底的に内面化された罪の断罪は、<原罪>の教義と深く関わっている。<原罪>によって、すべての人間はその具体的実存によって、すでに罪へと”罪深く”関わってしまっており、このゆえにこそ、罪を理解することができる。他人の罪を認識し、それを断罪することは、みずからの罪による共鳴共感によってのみ可能であり、ここに、<原罪>によって、いわば先駆的に根拠づけられた、罪の共鳴共感コミュニケーション(霊的交わり)が成立するのである。(p.130)

 権力を否定する革命アナーキズムでは、権力秘密をあばくことはできない。それは、人為的障害(たとえば私有財産とか国家とか)をとり除きさえすれば、われわれは真の友愛共感をとりもどすことが可能であり、隣人の苦しみ喜びを自分自身の苦しみ喜びと感じ、全体についての完全で透明な情報を手にすることができるのだ、という前提に立っている。透明なコミュニケーションを得るために権力を否定せねばならず、逆に権力を否定するために、言語や、全体情報の完全な透明性を得なければならない(cf.ジャン・ジャック・ルソーの場合)。(p.176)

 旅行家は、このようにきわめて両義的な形で言葉の力を駆使する人間であることがわかる。その力は、彼が無力であることから生じるのであり、その責任は彼がいかなる責任も負っていないところから生まれ、その判断力は彼が何も知らないところから発するのである。だからこそ、彼は「ほんのふた言三言」「すぐ下の役人に聞こえる程度の小声」であっても、断固として将校の要求にそった発言をすることを拒否するのである。彼は預言者でもテレヴィ伝道師でもないから、失われゆく秩序を立てなおすためにひと役買ったり、新しい信仰を呼びかけたりすることはできない。(p.188)

2009-11-14

『「公共性」論』,稲葉振一郎,2008,NTT出版

以上に見たようなコミュニケーションの非対称性を真に受けるならば、言語、特に文字言語を道具・機械と見なし、アレント的な意味での「世界」構築の部材と見なすことの意義は、その困難性と併せて、よりはっきりとしてきます。言語メッセージを発信すること、すなわち発話すること、語り、書くことと、受信すること、聞くこと、読むことの間には非対称性があります。発信者、語り手、書き手としては人は公的存在として振る舞います。そのとき言語は確かに公共世界を立ち上げます。しかし受信者、聞き手、読み手としては、必ずしもそうである必要はない、ということです。もしここで受信者が「受信したよ」という返信を発信者にしなかったならば、事態はもはやコミュニケーションとは呼べません。その場合受信者は発信者からのメッセージを、認知環境の中の他のものごとと同列に、つまり単なる一方的な認知の対象として扱っていることになります。やや先走って言うならば、このとき受信者は「動物」としてメッセージを「消費」しているのです。(p.123)

だからわれわれは「忘却の穴」の何をどう恐れるべきなのか、よくよく考えてみなければなりません。ぼく自身の考えを言えば、本当に恐ろしいことは「記憶された上で忘れられること」ではありません。かといって「そもそも記憶さえされないこと」でもありません。そうではなく「知られず、記憶されなければ存在しなかったのと同じと思うこと」こそが恐ろしい。このような信念が前提になって初めて、「記憶された上で忘れさられること」、さらには「そもそも記憶さえされないこと」が恐ろしく、悲しいことになるのです。(p.214)

そして総力戦体制や「政治全体主義」においてもまた公共性の衰退、解体は見られます。というよりアレントらの全体主義論においても、「追放」はまさしく公共性を解体に導く力として位置づけられています。それは何も「追放」が、文字通りに公共圏から排除するから、というだけではありません。実際に排除しなくとも、排除への恐怖による萎縮効果も大きいわけですが、それだけではない。「追放」の常態化の恐怖は、「自分もまた追放(抹殺)されるかもしれない」という恐怖だけではないのです。仮に自分だけは追放されないとわかっていたとしても、なおその人を襲う恐怖がある。自分だけは消えなくとも、いつ周囲の誰が消え、知らない間にあったはずのことがなかったことになっているという恐怖からは、逃れられません。「追放」の常態化の最大の恐怖はむしろここにあります。安定な社会秩序というものの崩壊、つまり「例外状態」の恐怖です。(p.234)

その上で本論に移ります。まず第一に確認しておくべきことは、上記の意味完璧に作動している、いわば「経験機械」でもある「ハイパー収容所テーマパーク」からは、完璧な「忘却の穴」からと同様、原理的に脱出が不可能である、ということです。このようなものが存在することは可能であるにもかかわらず、いったんそのうちに取り込まれた人は、「自分がいまいるところはひょっとしたら収容所テーマパークかもしれない」と疑うことはできても、その疑いを検証することは決してできません。つまり脱出の可能性を云々する以前に、果たして自分がそこから脱出すべき閉域にいるのかどうか自体が判定不能であるわけです。(p.298)

『1984年』の物語の中でウィンストンを捕らえて尋問する警察官僚ブライエンの口から語られる解答はそれなりに示唆深いですが、しかし必ずしも満足のいくものではありません。ただの権力者自己防衛のためには過剰で不必要に見える、反抗者をただ消すのではなく殺す前に徹底的に痛めつけ、屈辱を与え、その上で洗脳をするという作業の理由は、オブライエンによれば、権力そのものの快楽、人を支配し服従させることの快楽をこそ権力者たちは求めている、というものです。しかしぼくたちがここで問題としたいのは、もっと洗練された全体主義の可能性です。そのような完璧全体主義の立場からすれば、『1984年』の体制は野蛮で生ぬるいものです。そこでは管理者、権力者たちは自らの欲望を満たすために犠牲者の前に姿を現しており、到底対等ではありえないにせよ、コミュニケーションを行うことになるからです。これはぼくたちがここで念頭においている、ただ単に洗練されて完璧であるだけではなく、人々の幸福奉仕する全体主義体制の可能性についてもあてはまります。支配し服従させることの快楽ではなく、奉仕感謝される快楽もまた、あからさまに服従や感謝を求めるとき、管理者、支配者、権力者はわずかながら生身をさらすことになります。そのときハイパー収容所テーマパークの檻は、一瞬だけ「相互認知環境」に、すなわち「公共圏」になってしまいます。そのような破綻を拒絶するならば、決して服従も感謝も求められてはならない。(p.308)

『汚穢と禁忌』,メアリ ダグラス ,ちくま学芸文庫,2009

この大家の指摘によれば、きわめて宗教心のあつい種族であるヌエル族は、彼らの<神>を親しい友達と見做している。オードリーリチャーズは、ベンバ族における少女たちの成人式を目のあたりに見て、儀式の執行者の気まぐれでだらしのない態度に一驚した。このような例は数多くあげることができるであろう。人類学者は、少なくともさまざまな儀式が厳粛に執行されるのを期待して出発する。ところが彼らは、サンピエトロ大聖堂の石造りの床で玉ころがしのようなことをして遊んでいる様子を見て衝撃をうけたりしたときと同じような思いを抱くのである。従って未開人の宗教を理解する上では、彼らの宗教的恐怖心が――それが精神の正常な機能を妨げているといった考え方も含めて――有力な手懸りになることはあり得ないと思われるのだ。(p.032)

汚穢の概念社会生活では二つの次元にまたがって作用する。その一は主として手段の次元であり、その二は表現の次元である。理解しやすいのは第一の次元であるが、この次元では汚穢の観念によって人々は相互の行為に影響を与えあおうとしていることが見出されるであろう。信仰社会的圧力を強めるものである。つまり全宇宙のあらゆる能力が、ある時は死に逝く老人の願いに応えるため、ある時は母親権威を守るため、またある時は非力ではあるが潔白な人々の権利を擁護するために呼び寄せられるのだ。また政治権力を握る者は通常不安定な状態にあり、それは未開社会の支配者といえども例外ではない。従って支配者たちの正統的権利は、彼等の人格から、また彼等の職務を示す徴証から、あるいは彼等が下す言葉から巨大な能力が生まれるという信仰によって支えられているのである。同様にして、理想社会秩序は、その侵犯者を脅かす危険によって保護されている。このような危険に対する信仰は、各人がっ危険を招くことのないよう正義を尊重するといった効果をもつばかりでなく、他者を威圧するために利用する威嚇にもなり得る。それは相互に戒めあうための強力な言語なのである。この次元では、道徳律に権威を与えるために自然法則が引き合いに出される。すなわち、この病気は姦淫が原因であり、あの病気近親相姦が原因であり、このような天候は政治裏切りの結果であり、あのような地異は不敬の結果であるといった具合である。全宇宙が、お互いを善き住民たらしめようとする人間努力を支えるために利用されるのである。かくして、姦通を犯した者の視線や接触が彼の隣人や子供病気をもたらすと信じられている例のように、危険な接触を信じることによってある種の倫理的価値が支えられ、ある種の社会的規範が決定されるようになることが理解されるであろう。(p.035)

汚れに関する我々の概念から病因研究衛生学とを捨象することができれば、そこに残されるのは、汚物とは場違いのものであるという例の定義であろう。これはきわめて示唆に富んだ方法である。それは二つの条件を含意する。すなわち、一定の秩序ある諸関係と、その秩序の侵犯とである。従って汚れとは、絶対に唯一かつ弧絶した事象ではあり得ない。つまり汚れあるところには必ず体系が存在するのだ。秩序づけとは、その秩序にとって不適当な要素を排除することであるが、そのかぎりにおいて、汚れとは事物の体系的秩序づけと分類との副産物なのである。汚れをこのように考えることによって、我々は直ちに象徴体系の領域に導かれることになり、汚れと聖潔の象徴体系との関連が一層明らかに予想されるのである。(p.103)

(……)しかし文化的範疇とは公的なものである。この範疇を改めることはきわめて困難である。にもかかわらず、それは異例なる形式の挑戦を無視することはできないのだ。いかなる分類体系も異例なるものを生まざるを得ないし、いかなる文化もその前提条件に公然と反抗するような事象に直面することは避けられない。その体系自身が生み出した異例なるものは無視することができないのであって、さもなければそれは人々の信頼を失うことになるであろう。このことこそが、文化名前に値するものはすべて、さまざまなやり方で曖昧もしくは異例なる事象を扱おうとする理由なのだと、私はいいたいのである。(p.110)

人間社会的動物であるが故に儀式動物なのである。もしある形式による祭祀が抑圧されればそれは別の形式をとって出現するのであり、社会的相互作用が強力になればなるほど別の形式をとって現れる力も強力になるであろう。哀悼の書簡、祝電、および時折の葉書といったものまでがなかったら、遠く離れている友人間の友情といったものは社会において現実化されないのである。友情は友情の儀式がなければ存在し得ないのだ。社会的儀式は、もしそれがなかったら存在し得ないような一種の現実を創出するのである。思索にとって言葉重要であるよりは社会にとって儀式が一層重要であるといっても、それはいいすぎではあるまい。というのも、なにごとかを知って然る後にそのことを表す言葉を見出すことは可能であっても、象徴的行為なくして社会関係をもつことは不可能だからである。(p.160)

 彼の奇妙な冒険から二つほど例をとれば、この神話の主題を説明することができるだろう。<トリックスター>はバッファローを殺し、右手に小刀をもってそれを切り刻む。

この作業の最中に突然、左手バッファローを掴んだ。「その背中の肉は俺によこせ、それは俺のものだ!そんなことは止めろ、でなければ俺のナイフがお前の所へ飛んで行くぞ!」そこで右手がいった。「お前こそコマ切れにしてやるぞ、間違いなくそうしてやるからな!」そこで左手は掴んでいたバッファローを放した。しかし間もなく、左手は再び右手を掴んだ。……こういったことが何度もくり返された。こんな具合に、<トリックスター>は両手を口論させたのである。この口論は物凄い喧嘩となり、左手は深い傷を負ってしまった。……(p.196)

アザンデ族に魅力ある問題は、なぜ穀物倉がちょうどその時間に倒れたのかということであり、なぜ特定の某々なる人物がそこにいて他の誰もいないときにそれが倒れたのかということなのだ。自然の一般的法則は、アザンデ文化技術的必要を満たす程度には十分正確かつ精密に観察されている。しかし技術的知識が検討し尽されると、彼らの好奇心は、特定の個人が宇宙の運行に捲き込まれたことに対して焦点をあわせるように変わっていくのである。なぜそれは彼の身の上に起こらなければならなかったのだろうか、彼がその不幸を避けるにはどのようなことをなし得るのだろうか、それは誰かに責任があるのであろうか、といったわけである。こういったことはもちろん、人格神的世界観についてもいい得るであろう。妖術の場合と同様に、精霊の作用だとして説明し得る問題はかぎられている。四季の規則的な運行、雲と雨との関係、雨と収穫との、早魃と流行病との関係等々は十分認められているのである。それらは、より個人的かつ緊急な問題を解決するための背景として、当然のこととされているのだ。いかなる人格神的世界観においても、中心問題はアザンデ族における問題と同一である。すなわちそれは――なぜ、この農夫の作物が不在で、隣人の作物はそうでないのか、なぜこの男がバッファロー狩りで大怪我をしたのに、同じ仲間である他の人々はそんなことがなかったのか、なぜこの男の子供や牛が死んだのか、なぜそれは私なのか、なぜそれは今日なのか、それをどうしたらいいか――といったものである。こういった疑問は常に、自分および自分たちの共同体にかかわる個人的不安を説明することに集中している。(p.216)

未開文化にもそれなりの技術的問題があるがそれには過去数世代にわたって一応の結論が出ている。未開人が直面している問題点は、そういった問題との関係において、自分をも含めた人間をどのようにして組織するべきか、ということなのだ。それは例えば、いかにして不穏な若者たちを統制すべきか、いかにして不満をもった隣人たちを宥めるべきか、いかにして自己の権利を獲得すべきか、いかにして権威簒奪を防ぐべきか、あるいはいかにして権威正当化すべきか等々といったことである。このような現実の社会的目的に役立たせるために、外なる世界はすべてを知り無限の力をもつとするあらゆる種類の信仰が活用されるのだ。たとえ特定の共同体における社会生活が、ある一定の形式に落ち着いたとしても、緊張や闘争を伴うさまざまな社会問題は再び新しく発生しようとするであろう。そこで、その種の問題を解決する機構の一部分として、因果応報運命・亡霊の復讐・および妖術等に関する信仰制度として結晶するのである。そんなわけで、未開人の文化においては、私がこれまで明らかにしてきた原始的世界観がそれ自体として思索・考察の対象になることはめったにないのだ。それは他のさまざまな社会制度に従属するものとして発達してきたのである。このかぎりにおいてそれは間接的に発生したものであり、このかぎりにおいて未開人の文化は、自意識をもたないものとして――つまりそれ自身の制約を意識の対象としないものとして――理解しなければならないのである。(p.220)

レヴィ=ブリュールは境界領域には危険がひそむといった一般化にはいたらなかったが、ヴァン・ジェネップはさらに深い社会学的洞察をもっていた。彼は、社会とは多くの部屋や廊下を具えた家のようなものであって、そこではひとつの場所から出て他の場所へ移動するのは危険とされると考えたのである。危険は過渡的状態の中に存在する。その唯一の理由は、過渡的状態とはひとつの状態でも次の状態でもなく、明確に定義し得ないものだということなのである。ある状態から別の状態に移らなければならない人は、自らが危険に脅かされているばかりでなく、他の人々にも危険を与える。この危険は、彼を旧い状態から明確に分断し、しばらくの間隔離し、次いで新しい状態への参入を公的に宣告する儀式によって防ぐことができる。移動=通過そのものが危険であるばかりでなく、隔離儀式までもが多くの儀式の中で最も危険儀式とされるのである。(p.231)

死の儀式再生儀式との間にある境界線上の時期において、成年に達した新参者たちは一時的に社会の追放者となる。その儀式が続く間、彼らは社会の中に自己の地異をもたないからである。場合によって、彼等が実際に遠く離れた場所に移って生活することもある。場所によっては、彼らは社会の追放者でありながら共同体のすぐ近くに住み、共同体中に完全な地位をもつ者との間に偶然の接触が起こることもある。そのような時には、彼らは危険犯罪者のような行動をすることがある。つまり彼等は、他人を襲ったり、盗みを働いたり、強姦したりすることが許されるのだ。彼らがこの種のことをするよう命じられることさえある。反社会的行動をするということは、彼等が境界線的状況にあることを示すにふさわしい表現なのである(ウェブスター、一九〇八年、第三章)。境界線上にいたということは、危険と接触していたことであり、能力の根源にいたことに等しいのである。隔離された状態を脱して初めて成人の世界に入った人々をあたかも能力が満ち満ちた人々のように扱い、興奮した、危険な、絶縁と冷却期間とを必要とする人々のように遇することは、形式と無秩序とに関するさまざまな観念と一致するであろう。汚れ、淫猥および無法といったものは、彼等が不法な行為をしても咎めを受けないのは、子宮の中の胎児が悪意や貪慾を抱いても咎めを受けないのと同じことなのである。(p.233)

一九五一年カナダでは精神病への態度を変えさせようとする企画が実行に移されたが、それについての報告書によれば、人々の行動が容認される限界は、彼等が精神病院に収容されるか否かによって定まってくるという。正常な社会から病院という辺境地帯に入ったことのない人は、どのような偏屈な行動をしようとも隣人たちにその行動を容認される。心理学者であれば直ちに病的なものに分類するような行動も、普通、「ただの気まぐれさ」とか「そんなことはすぐ治るよ」とか「世の中にはいろいろな人がいるもんだ」とかいう言葉で片づけられてしまう。しかしひとたび彼が精神病院に収容されると、そういった寛大な態度はすべて失われるのである。かつては正常であると判断され、正常でないという心理学者言葉が強い反感を与えたほどの行動が、今や異常だと見做されるというのだ(カミングの引用による)。従って、精神病院に勤務している人々は、退院患者社会復帰させることについて、受刑者援護協会の人々とまったく同じ問題をかかえていることになる。受刑者精神病者についてのこういった一般の考え方が客観的根拠をもたないという事実はここでは問題にしない。それよりはむしろ、境界線上の地位はいたる所で同じような反応を生じ、これらの反応が境界線の問題を表す儀式よって意識的に演出されていることを知る方が、一層興味深いことであろう。(p.234)

しかしながら妖術はしばしば、以上のものとは別の種類の曖昧社会的関係の中で作用すると考えられている。その最もふさわしい例は、アザンデ族の妖術信仰にある。彼等の社会の正式な構造は、王族、宮廷、裁判所軍隊を軸とし、明確な階層制度によって王族の代理官にいたり、さらに地方司令官を通じて一家の家長につながっていた。この政治体系においては、競争の分野はそれぞれの地位によって系統的に分離されており、従って平民貴族競争するようなことはなく、貧者が富者と、息子が父親と、女性が男性と争うといったことはなかった。彼等の間では、政治構造によって未組織のままにされていた領域においてのみ、人々はお互いに妖術をかけたと告発しあったのである。ある役職を求めて強力な競争者と争ったすえに勝利を収めた男は、競争相手が嫉妬のあまり自分に妖術をかけたと告発したであろうし、一人の夫を共有する妻たちはお互いに妖術をかけた告発しあったであろう。アザンテ族の妖術師は危険な者であるが、自分ではそうと気づいていないとされていた。彼等の妖術は、怒りとか恨みとかいう感情を感ずるだけで発動されたのである。そういった告発は、一人の人間を擁護し他の人間を罪ありとすることによって、彼等の置かれた状況を調節しようとしたのであった。王族は妖術師ではないことになっていたが、彼らはお互いに邪術を用いたと非難しあった。このように考えれば、アザンデも私が設定しようとしている型に一致することになるであろう。(p.245)

東はコンゴ地方からニシはニアサ湖にいたるまでの中央アフリカの邪術信仰は、邪術のもつ悪しき霊的能力は誰でも利用できることを前提としている。原則的にはこれらの能力は母系出自集団の首長に付与されており、それらの人々が権力の座についたとき敵対する部外者に対して行使することができると考えられており、老人が不愉快または卑劣人間である場合、部下や親類縁者が死ぬとそれは老人のせいだとされがちである。長老の地位とはやや高いといった程度のものであるにすぎないのだが、老人は常にその地位から引きずり下ろされ、面目を失われ、追放され、あるいは毒を用いた試罪法にかけられる危険に曝されているのである。(ヴァン・ヴィング、三五九‐六十頁、コピトフ、九十頁)。そうなると別の競争者が現れて老人の公的な職務を奪い、一層の用心のもとにそれを行使しようとするのだ。このような信仰は、私がレレ族の研究においてすでに証明しようとしたように、権威定義が明確でなく現実にほとんど支配力をもたないような社会体系に対応する(一九六三年)。(p.255)

しかし私の信ずるところでは、部族的社会体系において相争っているさまざまな構成分子がすべてバカラを利用し得るわけではないのであって、このことは今ここで明らかにしておくべきであろう。それは、さまざまな政治的状況に応じてさまざまな作用をする能力についての観念だからである。つまり、権威確立した体系においては、バラカは権威の座を占める者が発することができ、彼等の安定した身分を強化して反対者を敗北させることができる。しかし他方では、バカラ権威、正邪といった観念を粉砕する潜在力をもっている。なぜならばその唯一の証拠はそれが成功をもたらすことにあるからである。バカラの所有者は他の人々と同じような道義的制約を負ってはいないのだ(ウェスターマーク、I、一九八頁)。(p.261)

一九五一年ロビン教授がユロック語を研究したとき、ユロック語を話す大人はわずか六人ほどしか残っていなかった。彼等の文化もきわめて競争的で富の獲得を重視した文化だったようである。男性が熱中していたのは、威信を示す貝殻の貨幣、珍しい羽毛、生皮および輸入された黒曜石の刀身といった形で富を蓄積することであった。外国の貴重品を交易する路線に近づける者は別として、富を獲得する一般的な方法は、不正が行われたら直ちに復讐し賠償を要求する方法だった。どのような侮辱を与えたときもその代償を原輪ねばならず、その価格には多少とも基準が定まっていた。それを値切ることもできた。なぜならばその値段は最終的には場合に応じて、つまり個人が自らに与える評価と近親者から得られる支持とによって、同意に達したからである(クローバー)。妻の姦通と娘の結婚とは富を得る重要な機会だった。他人の妻を追いかける男は、姦通の償いに財産を投げ出さねばならなかったからである。(p.344)

『漂白と定住と』,鶴見和子,1993,ちくま学芸文庫

岩崎一行のケヤキ姉妹についての記述によれば、一対位置の相手をえらぶには、藁のくじ引きがおこなわれる。しかし、それは、ある日突然くじ引きできめられた者同士がきょうだいになる、というわけではない。すでに同年齢集団の中で、十人前後の「気の合った者同士」が「連中」をつくっており、その中でさらに一対一の個別的、永続的な関係がむすばれる、ということなのである。また、くじの引き方も、最初は三度目の正直できめたものが、最近では、気に入った相手があたるまでひくという。昔から三度目の正直できめていたからいやおうなくそれできめる、という「伝統主義的行為」と、自分の好きな相手を自分でえらぶ、という「合理主義的行為」との区別は、ウェーバーが類型化したほどはっきりしてはいないのである。むしろ、好きな相手とむすびつくように、くじ引きを利用する、という旧い習慣の「合理的」利用の精神が働いている。(p.123)

ベネティクトの『菊と刀』が出たときに、柳田は誠実な批評の文章を書いた。柳田はベネディクトのあやまりを、具体的にいくつか指摘している。たとえば、ベネディクトが、西洋キリスト教社会は「罪の文化」をもつのに対して、日本は「恥の文化」であるといったのは、あやまりであることを指摘する。中古以来の文献をみても、また柳田自身の見聞によっても、「罪」ということばのほうがはるかに長く民衆の日常生活の中で使われ、仏教の罪業観によってさらに強化された。これに比べて、「恥」というのは日本では「笑はれること」であり、敵対する郡と郡とのあいだで、一方の郡のものが、敵方の郡のものを公然と嘲り笑ってよろしい、ということに由来したのだ、といっている。さらに、敵からあなどり笑われないように自己訓練するのが武士の道となった。このように、「恥」というのは、戦国時代から武家社会での、しかも武士階級に限られた規範であった。「罪」が古来から現在まで、民衆のあいだに広くゆくわっている観念であるのにくらべると「恥」は、はるかに歴史も短く根も浅い。(p.058)

『戦後思想の一段面』,熊野純彦,2004,ナカニシヤ出版

ひとはみな、<まね>をくりかえして自己を形成してゆく。その意味で、ひとはだれでも、他のひとに似ている。ひとはまず、周囲の人間の行動を<まね>、そのルールを(おおくは無自覚的に)まなび、長じては、無数の他者たちの影響にさらされる。――ひとはみな、他者に」日エル。ひとは、それでは、<だれ>に似ているのだろうか。さしあたりはだれもが、いわば<ひと>一般に似ているのである。ひとはだれも、<あいだがら>のなかで自己を形成することによって、さしあたり・たいていは、<ひと>として<ひととなり>をかたちづくる。ひとはだれも、<ひと>がそうするようにかんがえ、<ひと>がそうするように行動するようになる。

 ひとはかくて<ひと>となる。ひとは、こうして(さしあたりはハイデガー的な意味で)<ひと das Man>となる。つまり脱人称的な存在となる。ひとの立ち居ふるまいのなかには、そのひとが人称的な存在として、あるいは「私」としてえらびとったものではない、膨大なことがらが含まれている、という意味では、ひとはまた、メルロ=ポンティ的な意味でも<ひと on>である、つまり前人称的な次元を抱えこんでいる、といってもよいだろう。前節以来もちこしてきた、価値の背後にあるものへの問いにたいする答えも、この間の消息に関連しているとおもわれる。(p.221)

 ひとの日常を埋めつくす行為の大半は、ひとが知らないことがらにささえられている。水道設備の末端から湧きでる水は、無数の他者がもたらした行為の結晶であり、私のあずかり知らない、世界のありたちにささえられている。私の<自由>にはならない、世界の諸条件が、私の<自由>な行為の条件となる。顔をあらうことさえ、見知らぬ他者たちの<ふるまい>によって裏うちされ、そのかぎりでは、一箇の潜在的な<協働>なのである。(p.226)

 制度を<ひと>がささえている。幻想的な共同体でもありうる制度を、ともに<ひと>であるかぎりでの、ひとびとと私がささえている。<わたし>もまた<ひと>である以上、制度の<威力>を不断に強化する。<ひとびと>もまたその威力を不断に強化し、<ひと>の支配がかくて貫徹される。「かれらはそれを知ってはいないけれども、それをおこなうのである」(マルクス、前掲書、八八頁)。――私は<ひと>にぞくし、<ひと>に支配される。私は、同時に<ひと>であるものとして、ときに他者を<ひと>ではないものとして排除する。<ひと>とは、<わたし>のなりたちにふかく食いこんだ微視的な<権力>のあらわれである。それは同時にまた、<倫理>がそこでこそ深刻に問われる場面なのである。しかも、私ひとりのこととしての道徳が、ではなく、他者への関係としての倫理が、問われる現場にほかならない。他者という、<ひと>としての<わたし>の現在を超越するものの存在が同時に問われることになるだろう。(p.237)

『賭博/偶然の哲学』,若森繁男,2008,河出書房新社

 構造主義者は、まさにテクノクラートである。それは意識無意識を操作する可能性にとり憑かれているからだ。構造を論じるかぎりで重要なことは、意識のなかで意識化されえないもの、見えるもののなかで見えないものを、どのように扱うかなのである。そしてどう扱うかということは、扱うものとは何かを反照的に規定していく。知という装置は、見えるものの背景に存在する見えないものについての知にほかならない。そのかぎりで、知は必ず実践的なものである。知ることとは、有限である主体にとり込まれている自然に微細な仕方で埋め込まれている自発性の範囲を、どう探っていき確保するのかという実践に重なっているのである。(p.126)

 不安であることは、自己であることの核心にある。不安自己であることによって私は無前提的に自由であるかのように振る舞いうる。しかし不安自己とは、同時に無限自己責任を抱え込む。無限自己責任は、自己では処理しきれない余剰を幹事させつづける。そこでは自然史的な身体を、自然史的な関係性を、一種の無限として含んでいるのだから、それhも当然ではある。しかし微温なリベラリズムは、いつもこうした自己自然を無視し自己を固定する。不毛自己責任の特化がリベラリズムでは必然的に発生する。私はそこで無限に疲弊する。(p.146)

 金銭がどうでもいいのではない。金銭は、生が賭けであるためのメディア=媒質であるにすぎなのである。金銭が愛や身体と異なるのは、毀損した愛は戻らないし、身体で失敗したときの痛みは対比不可能であるという点だ。ところが金銭には、ある絶対的な等価交換性が含まれてしまう。いくら負けようが、次の瞬間には勝つかもしれない。そして勝ってしまえばかつて負けていたことなど、ほとんどどうでもよくなる。そして等価交換である金銭は、その等価性によって、自らのありかたにとどまるものではない。金銭的欲望の無限の醜悪さについて語る者は多いが、他方賭博ほど金銭そのものが、どうでもよくなる場面もない。金などいつだって作れるのだから無価値なことこの上ない(それは今のネオリベ風潮にも共通する。実は金はどうでもいい。能力と運河あればいつでもいくらでもどれだけでも手に入るのだから。お前には能力がないからダメなのだ。それだけである)。

 金銭はそれを愛とか身体とかに、つまりは交換不可能なものに交換するための、つまりは賭けがそれを巡ってなされつづける生に届くための媒質なのである。だから逆に、愛とか身体とかは、それが賭けるところの何かとしてありつづけているかぎり、いつも金銭によって表象されるほかはない。それは交換不可能性なものを交換させる。金銭こそが、生が賭博であるというフーコーの統治性の事態を明確にさせてくれる。そして金融資本主義が明確に開始された一九世紀以降において(ゾラベンヤミンパリにおいて)、これも逆説的なことに、人間ははじめて自らの本性的自然に手を触れるのである。賭けとしての身体を生きなければならないという、その自然を金銭と商品とを媒介として感じることができるのである。(p.165)

2009-02-18

『マルティン・ハイデガー』,ジョージ・スタイナー(生松敬三・訳),2000,岩波現代文庫

その説明は――それはまたこうした小さな本が書けない第三の理由でもあるが――ハイデガーの表現・伝達の手段に求められる、と私は考える。程度の差こそあれ、すべて優れた作家ないし思想家というものはその人独自の文体をつくり出すものである。哲学にあってはこの文体の役割は中心的なものだが、また曖昧でもある。ごく大づかみに言って、三つの主要な道筋があるだろう。哲学者は、たとえば実在の本性について、意識の状態、道徳的命令の存在についての自分の議論を、きわめて直截的な言語で、その社会日常用語で展開することもできる。デカルトヒュームの場合がそうだし、ともに自覚的なやり方を試みている後期ウィトゲンシュタインもこの場合に数えいれられるであろう。これに対して哲学者はあまた自分見解を新しい語彙によって、つまり術語や文法形式の再構成・再定義からその学説に特殊な用具をつくり上げることによって、説明することもできる。たとえば、トマス主義者言葉翻訳され再定義された特殊的なアリストテレス用語といったものがあるし、ヘーゲル論理学や認識論――われわれがものを知る仕方を扱う哲学の一部門――は、重要ないくつかの点において、それ自身の語彙を創出している。もっと新しい事例を挙げれば、ハイデガーフライブルクでの先生であり先行者であったエドムント・フッサールの創意になる現象学もそうである。ところで、さらに第三の道がある。哲学者言語そのものをその探究の全面的あるいは主要な焦点とすることができる。哲学者は、言われていることによって何が意味されているかを問い、文章構成が認識の可能性を生み出したり封じ込めたりする様態を研究することもできるわけだ。彼は、われわれの口にする語や文章と、経験の内的・外的な事実についてわれわれが描く像との間の諸関係――それが調和的な関係であれ、それぞれ独立創造的だという関係であれ――を解明し、図式化しようと試みる。彼は、その研究のために有利な地点を確保するには特別な「メタ言語」を構成しなければならなぬことに想到するであろう。この第三の道は、世紀が改まって以降のアングロアメリカ哲学において広く行われてきたものである。(p.57)

その用語の不確定性にもかかわらず――おそらくあるレヴェルではその不確定性ゆえに――私はこの論述を説得力あるものだと考える。これは、ハイデガーをその分析的・実証主義的批判者たちからきっぱりと区分する議論である。こうした区分を感知しているかのごとく、ハイデガーはここから進んでデカルトに挑戦し、またそれ以後のあらゆる合理的・科学的な地のモデルにおけるデカルト流の基礎づけに異議を申し立てる。デカルトにとっては、真理は確実性によって決定され確認されるものであった。そしてこの確実性がこんどは自我のなかに位置づけられる。かくして自己現実の中心点となり、ある探検的な、また必然的に搾取的な仕方で外部の世界そのものに関係してゆくことになる。知りかつ利用する者としてエゴは略奪者である。ところが、ハイデガーにとっては反対に、人間ならびに自己意識というものは現実存在の中心ではなく、また査定者でもない。人間はたんに現実存在の特権的な聞き手であり応答者であるにすぎない。他者への最重要関係は、デカルト主義的・実証主義的な合理主義の場合のように、それを「つかみとり」、実用的に利用するという関係ではない。聴きとるという関係なのだ。われわれは「存在の声を聴く」べく努力する。それは存在に対する極度の責任、保管者たること、応答可能性という関係であり、そうでなくてはならない。この応答可能性[責任]という点において、思想家詩人とは伝達者であり受託者である。なぜなら、彼らは言語へと(ロゴスへと)開かれており、真理が――ワーズワースヘルダーリンとともに「存在音楽」が、と言ってもよい――きわめて緊急に応答を呼び求め喚起しているということを語る、というよりむしろ語られる――この区分は、先へ進めばもっと理解しうるものとなろう――能力をもっているからである。(p.97)

他者の間に投げ入れられ、日常的な相互-存在 being-with-one-another(ハイデガーの重くるしいようなハイフンでの連接は諸事実の網の目のように組み合わされた運面を象徴している)としてわれわれ自身の現存在を演じ実現することによって、われわれは自己自身であることになるわけではない。われわれが実存するにいたるのは自分自身において、自分自身によってではなく、他者に関連して、他者に関してなのである――そしてまさにここにおいて「他者」という言葉サルトルの他者 l'autreのような強圧的な色合いを帯びることになる。まったく文字通りの具体的な意味において「われわれはわれわれ自身ではない」のだ。ということは、われわれの存在が作為的なものとされているということである。ハイデガーのキー・ワードは石を刻んだ文字のようで、翻訳するのが厄介だ。つまり、自己はそれ自身から阻害され、ひとmanとなる、というのである。ドイツ語でmanとは「あるひと」をも「多数のひと」をも意味する。文脈だけがこの決定的な不確定性に決着をつけることができるが、文脈によってさえ必ずしもつねに明確になるわけではない。このひとは、だから同時に「ひとり」'oneness'であり「多数の彼ら」'theyness'でもあると翻訳するのがいちばんよいのだが、これが疎外、平均性、本来的存在からの距離、「公衆性」、無責任への真の現存在の後退を劇的なものたらしめるのである。「すべての人は他者であり、なんぴとも彼自身ではない。日常的現存在とは"だれか"という問いに答えを与えている"彼ら"とは"だれでもない人"であり、あらゆる現存在は相互間的存在たることにおいてすでに自己を放棄して"だれでもない人"となっている。」われわれであるところの存在は腐食されて凡俗なものとなり、集合的・公共的・群集的な「多数の彼ら」のなかの「ひとり」に堕している。その「多数の彼ら」は真実存在者の集合体ではなく、「ひとり」の集合体なのだ。われわれはわれわれの現存在存在論的完全性をあれこれの特殊的保持に委ねているのではなく、意味のある召喚に応じている(ハイデガーが賞賛する自己放棄のあり方)のでもない。われわれは実存を無定形の「多数の彼ら」ないし他者性alteriteに譲渡してしまっているのである。われわれ自身を委ねているその他者は明確な、至上権をもつ存在者であるわけではない。「反対に、いかなる他者であってもそれを代表することができる。決定的なことはまさしく他者による目立たぬ支配であり、この支配権は共-存在としての現存在から知らぬまにすでに奪い去られてしまっていたのである。」(p.189)

言い換えれば、現存在つねに共-現存在であり、われわれが投げ入れられている世界-内の存在であるのだから、「非本来性」と「頽落性」は偶然存在でも誤った選択でもあない。それは実存の、日常実存的現事実性の不可欠の構成要素なのである。世界-内-存在は「それ自身において誘惑的である」。世界性の誘惑に陥ることが、ごく単純に言えば、実存することである。「頽落」は、それゆえ「実存疇として決定的」なものである。実際、どうして「世界の外へ頽落する」ことなどできようか?頽落は、「現存在そのものの本質的存在論的構造を明らかにする」点において積極的なものであり、「現存在の暗い夜の面を決定しているというより、その日常性におけるあらゆる現存在の明るい昼を構成しているのである」。(p.199)

しかし、この「頽落性」はもう一つの、より深い意味において積極的なものなのである。非本来性、「人びと」、「話」、「好奇心」などは存在しなければならない。これによって、自己喪失を自覚させられた現存在本来的存在へ帰ろうと努力することができるからである。その著作のどこにおいてよりも、ハイデガーはこの内的矛盾から発する議論のダイナミズムに関して、より弁証法的であり、より熱中している。頽落は、真の現存在へ、自己の所有、というよりはむしろ再所有へ向かっての闘いのための絶対に必要な前提条件となる。この闘いこそが存在論的なものの挑戦に人間がさらされていることを明らかにするのである。そして、ハイデガーは否定するにもかかわらず、この接合点において、神学的モデルは明瞭に、かつのっぴきならぬものとなる。ハイデガーの分析における「頽落性の積極的な意味合い」は、かの有名な幸福なる罪過felix culpaのパラドクス――アダムの「幸福なる堕罪」にキリスト奉仕人間の究極的な復活のための不可欠な前提条件を見る教説――に正確に対応するものである。世界-内-存在の非本来性を通じて、現存在は本来的なるものを見つけ出すようにしむけられる。ハイデガー要請は簡明であるが、重大な帰結を負わされている。「本来的な実存は頽落してゆく日常性の上に浮びただようている何かあるものではない。実存論的には、それはたんに、そうした日常性が把捉される一つの変様されたあり方であるにすぎない。」(p.200)

ここでまた、反プラトン的、反デカルト的な傾斜が認められる。プラトンデカルトいずれにあっても、すべての知識を規定する座標は幾何学的空間と理想化された時間ないし永遠による座標である。意識的にかどうか、ハイデガー時間性は個体化された、終末論的な特性を与えられた時間、つまり受肉が時間の中で起るという事実によって要請される時間の枠組に関連している。この点は、しばしばハイデガーの先駆となっているアウグスティヌスによって強調されているところである。プラトン時間ないしデカルト時間と『存在と時間』の時間とを対比する場合に問題となっているのは、人間の実在およびこの実在の意味を位置づける二つの根本的に対立する仕方にほかならない。この書物の第二篇冒頭のきわめて有名な章は時に誤読されていることが多いが、そこではハイデガー終末論商店が生き生きしたものになっている。現存在は、それが「もはやそこにないこと」(sein Nicht-mehr-da-sein)に直面するときにはじめて、自己の全体性と、全体から不可分な有意味性とを把握するにいたることができる。現存在がその終局にまで到達しない限りは、それは不完全なままにとどまる。その全体Ganzeを完成していあにのである。現存在存在意味に接近するのは、存在が有限であるゆえ、ただそのゆえにのみである――これはまこと重要な点である。それゆえ、本来的な存在死への存在 Sein-Zum-Taleである(これはもっともよく引用されるものの一つであるが、現代思想においてもっとも理解されることの少ない語句である)。(p.206)

現代社会における個人の疎外と、この「頽落」と非人間化の兆候でもあり矯正剤でもある苦悩とに関するハイデガーの診断は、まぎれもない二重の期限をもっている。その一つは、アウグスティヌスキリスト教におけるペシミズムと警告の太い線に由来している。ハイデガー人間理解は、アウグスティヌスルターパスカルキルケゴールのそれと厳密に結びついている。ごく現実的な意味で、『存在と時間』はキルケゴールの『あれかこれか』や『恐れとおののき』の二十世紀的くり返しであり、詳細な仕上げである。部分的な断絶と独自性は、ハイデガーが現存在真理における人間人間意識の中心性を問うときはじめてあらわれてくるだけである。ハイデガーの諸価値への批判、唯物論的な大量消費社会における個人生活のあり方への批判の第二の主要源泉は、もちろん社会学的なものである。それは陰に陽に、デュルケムのアノミー概念産業過程による個人の自立性への侵食作用の社会学的分析、とりわけマルクスを利用している。ラインハルト・マウラーやリュシアンゴルドマンが明らかにしたように、ハイデガーはその議論がもっとも対照的、さらには論争的であるときにさえ、いや正確にはまさにそういうところで、マルクス主義を大きく意識しているのである。二十世紀の都会人の人格喪失について、あるいは西洋科学技術における搾取的な、基本的に帝国主義的な動機づけについてのハイデガーのいちばん代表的な数頁を、『資本論』やエンゲルス産業の非人間性に対する告発という直接の先行者なしで思い描くことは困難である。

またこんどは逆に、ハイデガーの著作は、それが蒙昧主義的だとか、もっと悪いとか烙印を押されている場合にさえ、消費者倫理技術による人間奴隷化、「孤独な群集」への個人の利没に対するネオマルクス主義的な批判のすべてに強く影響を与えてゆくであろう。マルクーゼの言う「一次元人間」は、ハイデガーの「人びと」というさらに遠大な概念の一変種である。古典リアリズム――倫理世界の本来的な真の経験――から「自然主義」における機械論的決定論の無力な受容への頽落というルカーチの中心概念は、ハイデガーの本来的世界性と非本来的な世界性の区別と密接な平行関係にある。新しい「人間化された技術」、人間の必要と生産法則との間の調和的な合致への回帰といったネオマルクス主義理想は、まったくアヒデガーのものである。彼はまた「責任ある技術」を要求し、人格古典的スケールへの復帰を求めている。ハイデガーマルクス主義をまったく棄却し、「はるかに根源的な放棄という考え」(すなわち、西洋形而上学の放棄、存在の思い出への回帰)を説くときにさえ、彼は一九二〇年代の修正主義的、部分的にはメシアニズム的なマルクス主義とはぴったりと調子が合っているのである。(p.274-275)

2009-02-16

『貴種と転生・中上健次』,四方田犬彦,2001,ちくま学芸文庫

網野善彦は『日本中世の非農業民と天皇』(岩波書店、一九八四)のなかで、「職人」、供御人といった非農業民が携えてきた偽文章を、それが後世に偽作されていたという理由だけで、史料として排除したり近世社会に残存する遺物と見なして終わる従来の歴史学の態度を戒め、むしろこうした文章がなぜ頻繁に偽作されたかを問うべきだと主張している。鋳物師、木地屋、桂女、獅子舞マタギといった非農業民たちは、なぜみずからの起源を好んで天皇皇族に仮託した由諸書を、例外なく所有しているのか。たとえば京の桂の里で鮎を売り歩く桂女は、その職業と服装が神攻皇后の三韓討伐に由来すると説かれている。鋳物師が全国を廻るさいに所持する営業証には菊家紋や「天皇御璽」の朱印が平然と押捺されている。網野によれば、「職人」が天皇や寺社と現実的につながることで特権を保持し、独自の生業を営んでいた南北朝時代以前より、由来書に現実天皇皇族の名を掲げることは行われていた。しかし、室町時代以降、職人たちが農業民に圧倒される体制が始まり、彼らが社会的差別と賤視の対象となるに応じて、状況が変わる。法的、制度的身分の固定化が進むにつれて、所伝に登場する天皇はしだいに神話伝説上の人物へと大きく変容し、由来書そのものが皇室との結びつきを強く主張する性格を帯びてくる。こうした偽文書は戦国時代に及んでさらに積極的に作成され、ひとたび成立してしまうと職人の矜恃と職権を保障する公的な文章として、江戸時代を通じて流通した。差別と賤視が過酷なカースト制として制度化された時点において偽文書が氾濫した動機について、網野は次のように述べていることは、自己同一性をめぐる物語の権能について示唆に富んでいる。「過去の『光栄』を語り、その生業起源天皇の名において正統化しようとする由緒書・巻物は、この動き(差別と賤視――引用者註)に抗する屈折した心情の中から生み出されたものと思われるが、逆にそれ自体が近世社会における彼等の身分を長い架空の『歴史』の力によって固定化する結果をもたらした(……)。それ故、この角度からみれば、これはまことに恐るべき『新たなものの創造』であり、天皇皇族伝説そのものがカースト的な分業編成を残した身分性を支える役割を果たしているといわなくてはならない」。(p.148)

神皇正統記』が震旦の伏線神農といった諸皇の年数と照合したうえで、彦波激武顱[茲に鳥]草葦不合尊(ルビ・ひこなぎたけうがやふきあへずの)の即位以来その当時までを八十三万五千六百六十七年と厳密に算出するならば、『竹内文献』はそれに輪をかけて、葦不合尊自体を七十三代続いた王朝の名と拡大解釈し、数百億年の時代をそれに充てている。世界で最大の歌を詠む者はいないかと問うた豊臣秀吉の御前で、曾呂利新左衛門が居並ぶ武士を圧倒する頓智歌を考案し、みごとに褒美を得たという挿話がふと思い出されてくるようだ。法螺吹き合戦では、ひとりの発言が隣に控えたもうひとりの発言を誘発し、話が積み重ねっていくうちに、どんどん規模が膨らんでゆく。話が大きくなればなるほどに虚言性はますます濃厚となり、ついにはまったくのノンセンスの大海に溶融してしまう。巨大なものをめぐる想像特質とは、それが文字通り際限もなく巨大化してゆくことにあるといえる。日本が神国である所以を求めて、偽史作者たちが次々と世界の遠方の諸民族へと手を伸ばしてゆくとき作用しているのは、十八世紀にヨーロッパで盛行した法螺吹きクラブメンバーと同じ心性ではないだろうか。こうして考えてみると、窪田学説の解く身高十尺で右?に肉腫を生やした弥次郎の航海が、回を重ねるごとに大規模となり、最後に百人あまりの悪心の息子による事実隠蔽という荒唐無稽で幕を閉じるあたりも、少しも不思議ではなくなる。それは虚言の普遍文法にきわめて忠実な言説であると判明するのだ。(p.152)

こうした認識歴史学に固有のものではない。今日のわれわれを暗黙のうちに取り囲んでいる認識とは次のようなものだ。すなわち、世界のいたるところで出来事という出来事は全体を欠いた断片として生起する。そこには、背後に形而上学的な動機付け発見することが不可能なばかりか、相互の連関さえも見定めることは難しい。万人が当然のように実在を信じてきた超越的な物語など、すでにどこにも存在しなくなってしまったのだ。精神弁証法世界の変化の全過程を説明しえた時代は、過去のものとなった。階級闘争民族解放神話は単純な見取り図を作りえず、場所場所に応じて蔓草のように絡み合い、別々の、思いもよらない物語を紡ぎだしつつある。生起する自体のいっさいを解釈し、そこに適当意味を付加する理論など、放歌的な思い出にすぎない。われわれが生きているのは、その場その場に応じて意味がまったく別なふうに泡粒のように発生しては消滅ゆき、巨大な物語が困難なかわりに、物語の破片だけが周囲に散乱している空間なのだ。ナチズムとインドシナ半島での虐殺のあと、われわれは歴史統合的にとらえる高次言語を見失い、今日に至っている。歴史主人公とは人民であるという、『戦争と平和エピローグの著名な警句から、われわれは考えられうるかぎり遠くにいるのだ。(p.178)

ところで、物語を反復するとはどのようなことか。繰り返し書く。繰り返し語る。繰り返し読む。宗教学は、アルカイックな社会では時間は巡回する閉鎖的構造をなしていた、と指摘している。時間分節点において、同一の神聖なる物語が語られ、儀礼として生きられる。神話とは、非日常時間帯において太古の起源物語を招喚し、それを文字通り反復せんとする行為に他ならない。近代社会は、こうした円環状の物語運動を疎外し、周縁的な地位へと貶めてしまった。たとえば、泉鏡花は生涯のほとんどを異界婚姻譚のさまざまな変奏に費やしたが、その愚鈍なまでの同一の物語への固執に、明治以降われわれが見失いつつある時間循環の意識の残渣を認めることは困難ではない。(p.190)

2009-02-10

『忠誠と反逆』,丸山眞男,1998,ちくま学芸文庫

 しかしながら右のことからして、往々通俗的に信じられているように、「封建的忠誠」の観念のうちに、もっぱら権威への他律的な依存や主君に対する消極的な恭順を読み取るならば、それは必ずしも正当な歴史的理解ではない。むしろ中国家産完了=読書人の「合理的」生活心情が荘重な儀礼主義と古典教養の修得という静態的性格を強く帯びていたのにくらべて、戦闘者としての武士の行動様式は本質的ダイナミックであり、それが忠誠の発現の仕方にも著しい能動性と「臨機応変」性を賦与した。もちろんたとえば戦国時代の「豪傑」に見られるようなヒロイズムと「個人主義」は戦闘という非日常的状況が文字通り日常化し、しかも忠誠対象の選択がかなり自由であったような歴史的一時期のエピソードであったかもしれない。それにしても前述の「君、君たらずとも」云々という観念自体が、こうした能動性とけっして無縁ではなかった。もしこれをスタティックに受けとるならば、どんな暴君に対しても唯々諾々としてその命に服するという、きわめて卑屈な態度でしかでて来ない。けれども「臣、臣たらざるべからず」という至上命令は一定の社会的文脈の下では、無限の忠誠行動によって、君を真の君にしてゆく普段のプロセスとしても発現する可能性を包蔵する。(p.029)

王政復古」からほぼ西南戦争にいたる狂瀾怒濤社会的政治的過程は、忠誠と反逆の人格内部での緊張と葛藤という点でも、わが国未曾有の規模と高度とに達した時代であった。およそ個人の社会的行為のなかで忠誠と反逆が占める比重は、生活関係継続性と安定性に逆比例する。伝統的生活関係の動揺と激変によって、自我がこれまで同一化していた集団ないしは価値への帰属感が失われるとき、そこには当然痛烈な疎外意識が発生する。この疎外意識がきっかけとなって、反逆が、または既成の忠誠対象転移が、行われる。といっても帰属感の減退と疎外意識とが自動的にそうした行動様式を生むわけではない。疎外感がネガティヴな形をとるときはむしろ隠遁となって現れるだろう。それが積極的な目標意識と結びついてはじめて、あるいは「原理」に依拠する反逆となり、あるいは目標象徴化した権威人格にたいする熱狂的な帰依と忠誠に転化する。むろん疎外感がこうした行動性として現れるか、それとも忠誠からも反逆からもひとしく「隠遁」するか、ということは、その個人の性格や彼がはぐくまれたカルチャアに依存するだけではなく、時代の政治的=社会的緊張が個人の生活様式の内部にどれだけ入り込んでいるか、にかかっている。生活環境が「政治化」している場合ほど、積極的忠誠と積極的反逆との中間地帯は縮小するし、そうした場合もまた、忠誠対象転移が、たんに政治的もしくは宗教信条の変化の次元にとどまらないで、生活関係を激変させる結果をもたらすのである。(p.38)

福沢(諭吉引用者註)における「痩我慢」の精神と「文明」の精神と、「士魂」と「功利主義」との矛盾あるいは二元性ということがしばしば指摘される。抽象的に二つの「イズム」をとりあげるならば、たしかにそうもいえるだろう。しかし思想史の逆説と興味は、まさにそうした抽象的に相容れない「イズム」が、具体的状況のなげかけた「問題性」に対する応答としては結合するというところにある。あたかも幕末動乱に面して武士における家産官僚的要素と戦闘者的要素とが分裂したことに照応して、忠誠対象の混乱は、「封建的忠誠」という複合体の矛盾を一挙に爆発させた。家産官僚精神によって秩序への恭順のなかに吸収された君臣の「大儀」は一たまりもなくその醜い正体をあらわした。しかもいまやその同じ「秩序への恭順」が皮肉にも「上から」もしくは「外から」の文明開化を支える精神として生きつづけているではないか。矛盾したものの結合は実は福沢の批判する当の対象のなかにあるのであり、「近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽するが如し」という状況判断にたった福沢は、右のような形の「封建性」と「近代性」の結合を逆転させることで――すなわち、家産官僚的大儀名分論から疎外され現実の主従関係から遊離した廉恥節義や三河(戦国!)武士の魂を、私的次元における行動のエネルギーとして、客観的には文明精神(対内的自由と対外的独立)を推進させようとしたのである。(p.56)

2008-11-12

『奇妙な廃墟』,福田和也,2002,ちくま学芸文庫

ブラジヤックの死を悲劇的に捉えるか、また当然の報いと捉えるかは、これらの詩の前ではあまり意味がない。ブラジヤックはとにかく、文学者として仮借なく生き、そして忌まわしい党派にくみし、そして敵の手に落ちて殺された。そのアンガージュマンをどのように評価するにしろ、またその死にいかなる意味あいを重ねても、ただ明白に刻一刻と逃れようのない死が迫ってくるのを自覚し、それを認識しながらなお試作に取り組み、詩作の意思を死に対して明晰なものに保ちつづけることは、明らかに文学の勝利である。それは意思によって死にうちかつとか、死の恐怖を逃れるといったようなことではなく、暗く口をあけて、あらゆる青春の富、幸福、夢や愛情にもとどめをさそうと確実にやってくる死の前で、畏怖し怯える人間が、死を受け入れる最後のときまで、その教養技術と言葉とを、つまり詩作をめぐるすべての力をふりしぼりながら、詩に取り組み、その意思の緊張のなかから傑出した詩篇を書きのこしたことが、文学の勝利とみなすべきことなのである。(p,410)

確かにかれは常軌を逸したところのある人物だが、自分の基本的な立場の選択を誤るような愚か者ではなく、きちんとした検討ののちにナチズムにアンガージュマンをおこなったのである。かれの正統的な教養は、近代社会の害毒をいかなる手段にとってもねだやしにしようとさせた。いわば、ルバテはその教養のゆえにナチになり、武装親衛隊に入ったような人物であり、高い教養と深い人間性への理解によって反ユダヤ主義の熱狂にとらえられたのである。おそらく、ルバテ以上にアドルノアフォリズムアウシュヴィッツのあとで、詩を書くことは野蛮である」を証明している人物はいないのではないだろうか。ルバテの存在は明白に西洋の文芸人文主義伝統とその人間的薫陶には内在的に、ホロコーストを阻むことができないばかりでなくそれを許しかきたてる何かがあるという可能性を示しているからである。ルバテをまのあたりにして、なおヒューマニズムの立場を守りホロコーストを防ごうとする者は、あらゆる西洋芸術の富を野蛮の温床としてみなし、遠ざけなければならなくなり、ただルバテのような人物だけがコンサート会場にあらわれて。その豊饒を享受するといった事態になりかねないのである。(p,478)

『これも男の生きる道』,橋本治,2000,ちくま文庫

 「女の自立」は、「男に依存しない」というところから始まった。それを実現するため、女に必要なのは経済的な力だった。横暴な夫にいじめられて、「離婚をしたい」と思っていても、「どうやって食っていくんだ」と言われたら我慢をするしかない。そんな女にとって一番必要なのは、自活が可能なだけの経済力です。ところが男というのは逆で、「一家を養って働くのは男である」という世間常識がある。普通の男に経済力があるのは当然なんですから、「男の自立」と経済的な自立とは結びつかない。ところが、その世間常識に従って「働き蜂」になってしまうだけの男達には、女と違って家事能力がない。だから、家事を担当する女にそっぽを向かれたら困ってしまう。「経済力がにために横暴な夫と離婚することができなかった女」と同じで、家事能力のない男は、「離婚しても身の回りのことがなにもできない」という理由だけで、わがままな妻のの横暴に耐えなければならない。つまり、「結婚して家事をするのが当然だ」と思われていた女の自立の方向が、「いやな男の言いなりにならないために、働いて経済力を持つ」だったのと同じように、「働いて家事をしないのが当然だ」と思われていた男の「自立」の方向だって、「いやな女の言いなりにならないために家事能力をつける」になるんです。(p,24)

 両親が共稼ぎで、一人っ子の息子が家事を担当する。なかなか有能な子で、自分に与えられた役割はきちんと果たすんだけれども、こういう子は、うっかりすると"自分の役割外のこと"には目を向けなくなってしまう。「お父さんとお母さんは仕事で外に出ていって、自分はその留守を守ってきちんと家の中のことをやっている」という方向だけができてしまうと、こういう子供は、うっかりすると「家の外のことはお父さんとお母さんの問題」という風に思ってしまう。真面目な子供であればあるほどそうです。「家の中のことはよくやるけど、外のことに関してはほとんどなんの関心も持てないまま縁遠くなってしまう」という、昔によくあった「おとなしい箱入り娘」の男版ですね。

 こういう男の子にとって、自分の役割は「家の中のこと」なんです。こういう子は、真面目であればあるほど、「自分の役割をきちんと果たし、他人の役割は他人の役割として尊重する」という傾向を持ちます。彼にとって、「家の外のことはお父さんとお母さんの管轄」なんですから、「家の外のこと」に対して関心を持とうとはしなくなる。それをしたら「他人の領分を侵す」ことになってしまうからですね。「家の中のこと」に関しては有能になっても、「家の外のこと」に対しては、それと接して鳴れるという機会がなくなる。経験がないままなじめなくて、「家の外のこと」に関しては、「知らない……」で終わってしまう。「有能だけど社会性のない人間」「やさしいだけで"自分が"がない、はっきりしない男」というのは、こういうところから生まれてしまうんです。(p.58)

 ところがしかし、「男だから女にしか関心を持たない」というのは、恋愛とかセックス以外に人間との関わりをもてなくなってしまった人間の発想です。つまり日本の社会を作っている男達が、そんな不健康欲求不満状態に陥っているということです。世の中に関心がもてないから、それでセックス恋愛方向にだけはけ口を見いだしている。日本の社会は、「元気がない」と言われて女の顔色だけをうかがっている今の若い男とおんなじなんです。(p.65)

 それまでの私は、「おとなしい子」でした。学校というのを、「いい子にしているところ」と信じていて、おとなしくしていたからです。学校では「いい子になれ」と言います。「いい子」とは、「おとなしい子」です。「なんのとりえもない子」だった私には、それ以外の考えようがありません。「自分が"いい子"かどうかはわからないから、せめておとなしい子になっていよう」と思って、そうしていました。

 私は「いい子でおとなしい子なら、学校のことは全部できるもんだ」と思っていて、跳び箱もそのように跳びました。普通におとなしくしてる湖だって、ちゃんと跳び箱が跳べるんです。そのことを暗示するように、一年生や二年生の跳び箱も「低い」んです――私にはそう見えました。「跳び箱を跳ぶということは、その低さにあわせて行儀よく跳ぶことである」――そう思い込んでいた私は、わざわざ「跳び箱が飛べないようなおとなしい跳び方」をしようとしていたんです。「今までの跳び箱は低すぎたから跳べなかった」というのは、そういう意味です。

 いくら「おとなしいいい子」でも、跳び箱を跳ぶ時には「別の人間」になります。そうじゃなかったら跳び箱なんか跳べません。ところが、学校とはただ「いい子でおとなしい子になっているところ」と思い込んでいた私は、跳び箱の「低さ」にだまされて、そうしなくていい時でもおとなしくしていたんですね。

 五年生になって高い五段の跳び箱を目の前にして私は、「こんな高いの跳べるのかな?」と思う一方で、なんだかよくわからないけど「やってやる!」という不思議な気分にもおそわれていました。その跳び箱は、もう「いい子」のままじゃ跳べないような高さを見せていて、それを見た私は、「いい「湖」という仮面を脱ぎ捨てていたのですね。「できない」でいることの理由には、自分で自分の力に制限をくわえてぃまう「自己規制」という原因もあります。小学校に入ったばかりの私は、そこがどういう場所だかわからなくて、なにをどうしたらいいのかもわからなくて、ただただじっとしているだけの存在になっていて、「おとなしくていい子」という仮面をかぶり続けることになってしまった。そんなことを続けた結果、自分で自分に規制をくわえているのがわからなくなっていたんですね。(p.157-158)

『遠野/物語考』,赤坂憲雄,1998,ちくま学芸文庫

 赤はまぎれもなく超自然の、非日常的な時-空間への畏れを刻印された色彩であった。しかし、仮死の状態にある男が見た、幻のあの世風景のなかに咲き誇る赤い花は、死の怖れよりはむしろ、死への悦楽に浸された道行きを感じさせる。赤色は死や禁忌に彩りされながら、けっして不浄・不吉・穢れの極へと静態的に押し込められてはいない。怖るべき山の神はまた、ときには里の娘に不思議占いの力を授け、あるいは、赤子の出産を司る神として篤い進行をさし向けられてもいた。御駒様の赤い巨根が、早乙女らの破瓜の血にまみれながら、生殖や生産の豊かさにたいする予祝の色をこそ暗示しているように、山の神の赤は生命の色でもあった。かぎりない富をあたえる赤い椀、地中に隠された黄金の在り処を知らせる朱漆などは、富貴シンボルとしての赤であろう。(p.221)

 一見すると、黒服の兵隊には死が、白服の兵隊には生が配されているかにみえる。しかし、ロシアの俘虜が見た白服の日本兵とは、おそらくオマクとして浮遊する幻の兵隊であったことに注意したい。それにたいして黒い日本兵のほうは撃てば倒れる生身の人間であった。それゆえ、ここには黒=死/白=生という対比が沈められているのではなく、黒=死すべき生者/白=生ける死者という捩れた象徴的な対立が語られている、と読まれるべきだろう。白が浮遊する死者のまとう非日常の色であったとすれば、黒は死を宿命として負わされた生身の人間が帯びる日常の色であった、ともいえるかもしれない。(p.234)

 さて、山の神をはじめとして、遠野物語の赤は多く山から里へと降りてくる聖なる色である。白はむしろ、里の暮らしの内側から分泌される聖なる色であった。山の赤/里のしろという対比の構図が、そこには見いだされる。それはあるいは、赤/白の対立を通奏低音とする、遠野物語の色彩シンボリズムの大きな枠組が、里/山の二元的な世界観と密接に関連することを示唆しているのかもしれない。しかも、ここでの二元分割は圧倒的に山のがわの占める比重が大きい。稲を作る平地の民の、水田のある里を絶対的な中心として、周辺部に山を配する二元的な世界観とはまったく異質なものだ。遠野物語の底を流れているのは、日常的に里/山のあいだを往還する人々が幽かな音ずれとして感じ取った、山という異界からの呼び声である。狩りの獲物をもとめ、萱を刈り竹を伐り、炭を焼き、栗・茸・蕗などを採り、荒畦を畳み、駄賃付けの荷を運ぶために、里山へ、さらに奥山へと足を踏み入れて行ったとき、群小の物語たちは誕生した。山という赤の世界との交通が、遠野物語の基層には横たわっている。(p.248)

 ともに、何らかのモノに仲立ちされて、山の神から不思議な力を授けられている。たとえば、一枚の木の葉である。娘の占いの力を保障しているのは、河原山の神に出会ったという物語りと、この、あまりにささやかなモノであった。ひとりの男の大刀を支えていたのもまた、山の女神との出会い物語りと、それを証し立ててくれる小さなモノにひそんでいる。一枚の木の葉にたいする信が揺らぎだすとき、娘が山の神から占いの術を得たという物語りは、生々しい現実性の大半をしだいに喪失してゆかざるをえない。(p.262)

 婿の父の物語りに目を凝らすことにする。ここでは浮遊する匿名の他者たちの言葉を、噂と名づける。五つの噂が物語の時空を漂っている。まず、"其女のところへ村の何某と云ふ者夜々通ふ"[うわさA]と、村人のあいだで囁かれていた噂の存在が、まるで読み飛ばされるのを意図するかのように、さりげなく伝えられる。そしてそのすぐあとに、うわさAとは真っ向から対立する、"川童なるべしと云ふ評判"[うわさB]が配される。語り手は、このうわさA/うわさBのあいだの断層を埋める努力を、意識的にかいっさいと取ろうとはしない。

 うわさAとうわさBとのあいだの断層の忌みを解きあかすことが、第五五話全体を読むための鍵となるはずだ。間男が河童に転位されるのは、なぜか。娘が産み落とした間男の子を間引きした、というイエの秘密のごく一部が、婿の口を借りて洩らされる。間男をめぐる村人たちの好奇な噂を打ち消し、それに対抗するために、イエの秘密は河童譚に彩色されて、噂のネットワークに乗せられるのである。河童譚という物語定型をかぶせることで、豪家の娘と間男にまつわる"現実事実"は巧妙にずらされ、隠蔽されるのだといってもよい。うわさBに続くうわさC・D・Eはいずれも、うわさBを補強する役割を果たしている。つまり、間男の影とその噂を否定し、河童なる超自然的な生き物と娘との避けがたい婚姻譚という物語の時空へと、人々の関心を散らすのに手を貸しているということだ。うわさB・C・D・EはうわさAにたいして、いわば対抗神話的な噂の群れを形成しているのである。(p.312-313)

『神秘主義』,G.パリンダー/中川正夫訳,2001,講談社学術文庫

 そこでトンプソンは、人間を追う存在である、人格的な神なる愛人を待った。神が最初に彼を求め、彼は最終的にはこの神と愛のうちに結ばれるのである。自然不毛を証明するのは、自然自身に愛が欠けていることである。その魅力にもかかわらず、自然根本的に心をもたず、なぐさめを与えるようないかなる乳房も持っていないのだ。(p.51)

 そのような教師は、哲学教育あるいは禁欲や神秘体験の専門家であったが、普通のヒンドゥー教徒の生活には、禁欲的段階が設けられていた。入門式を経て生まれ変わったヒンドゥー教徒には、伝統的に三つまたは四つの人生の段階(住期)が用意されており、それは現世的な要素と非現世的な要素をかねそなえていた。彼は聖なる知識を学ぶ学生(学生期)として出発し、結婚して一家の主人となり(家長期)、孫の誕生を見て、先祖の霊に祭りの捧げ者を確保してはじめて、森へ引退する(林住期)。そこでは独りで、または妻を連れて森の住人となる。その後の段階(遊行期)において、彼は完全な自己放棄者となり、瞑想のうちに死を迎えるためにベナレス(ワーラーナシ)のような聖地へ向かうのである。多くの林住者には、身の回りを世話する妻や弟子たち、また「支援する近くの村」があった。(p.57)

 信仰の実践の領域に目を向けると、大乗仏教の諸宗派、特に禅宗では、信者に対して、ブッダやその他の大乗の諸尊の「他力」よりも、自分自身の努力である「自力」に頼れと教えている。膳は、その見かけ上の合理的な教義のため、また他のたいていの宗教よりも超自然主義と神学を含む度合いが少なく、それが西洋の懐疑的、功利主義思想調和するようにみえたために、西洋では大いに好評を得ている。仏教に改宗した西洋人の信者は、アジアの禅僧が自力を拡充する一環として規則正しく行なう仏や諸尊に対する勤行を、無視または軽視しがちである。釈迦阿弥陀観音文殊菩薩の前に決まった供物のない禅寺は、おそらくアジアには存在しないだろう。超自然的存在への崇敬は、自然なもので正しく、さらには、利己主義の過ちに陥るのを防ぐ手段であるとさえ考えられている。(p.107)

 ヴィシュヌ信者の間には、有神論についてこれとは異なった展開がみられた。ある一派の教義に、「ネコの法」というものがあって、それは、あたかも子ネコが何も努力せずに親ネコに口でくわえられて運ばれるように、神の恩寵を受けるのにただ完全に帰依するだけでよいというものである。これと違い、「サルの法」というのは、子ザルが母ザルに腕でつかまっているように、神の救済は信者の側の一定の努力によってのみ獲得できると説く。このような教義の違いは、キリスト教におけるカルヴァン主義とアルミニウス主義の違いに比されてきた。(p.173)

『無頭人』,ジョルジュ・バタイユ他,現代思潮社

 文明人たちの世界とその光とを捨て去るべきときである。分別と教養を持とうと固執しても手遅れだ――それは味けのない生をもたらした。こっそりとであれ公にであれ、まったく違う人間になるか、あるいは存在するのをやめることが必要なのだ。

 われわれがこれまで属してきた世界は、結果あるそれぞれの個人以外には、何も愛すべきものを見せてくれない。その世界の実存は、便利さの粋を出ない。死ぬほどの――男が女を愛するときのような――愛の対象になりえない世界は、ただたんに利益と労働の義務を示すのみだ。消えていったかずかずの世界に比べれば、それは醜悪であり、あらゆる世界のなかでもっとも失敗した世界であるように見える。

 消えたかずかずのs絵買いにおいては、恍惚のなかにみずからを失うことが可能であった。それは教養ある通俗性の世界では不可能である。文明の諸利点は、人間たちがそれを利用するやり方によって相殺されている。つまり現在の人間たちは、いままでに在ったあらゆる存在のなかでもっとも堕落した存在にあんるために、その諸利点を使うのだ。

 生はいつも、あきらかな統一性を持たない混乱のうちに生起する。しかし生がその偉大さとリアリティを見出すのは、ただ恍惚と、恍惚的な愛だけなのだ。恍惚を軽視したり無視したりすようとする者は、分析だけに思考が限定された不完全な存在である。実存は、波立ち騒ぐ空虚であるだけではない。それは狂乱して踊ることを強いる踊りなのだ。死んだ断片を対象としないような思考は、炎と同じやり方で、内的に実存するのである。

 文明世界の実存がついに不確かなものとして見えてくるためには、相当に強固で揺るぎない意思を持たねばならない。この世界の実存を信じ、それを拠りどころにすることができる人間たちには、答えてやる必要はない。彼らが話すときには、話を聞かずに彼らを見ることが可能だし、彼らを見ているときでさえ、彼らの背後遠くに存在するものだけしか「目にいれない」ことが可能である。敵を拒絶し、そして魅惑するものだけによって生きることが必要である。

 この道を進むときには、時間をつぶしたり笑ったり個人的に奇矯な振る舞いをするといった気まぐれな気持ちの持ち主たちを相手にして、騒いで気を惹こうといても無益である。直接的な現実を忘れる力を持たない連中を考慮することなしに、後ろを見ずに前進しなければならない。

 人間の生は、宇宙に対して頭と理性の役割を果たすことに疲れはてている。生がそうした頭や理性となる限り、生が宇宙に必要なものとして仕える限り、生は奴隷の身分を受け入れるのだ。もし生が自由でなかったら、実存することは空虚な、あるいは特徴のないものとなり、もし生が自由であったら、それはひとつの遊戯となる。<大地>が災害や樹木や鳥たちしか産み落とさなかった時代、<大地>は自由な宇宙であった。<大地>が、宇宙を越えた法として必要性を要求する存在を生み出したとき、自由の魅惑は輝きを失っていたのだ。しかしながら人間は、あらゆる必要性に答えることをやめる自由を持ちつづけている。人間は、宇宙のなかの自分ではないものすべてに似る自由を持っている。人間は、自分または神が、それ以外の事物を不条理でなくするのだという考えを、退けることができる。

 ちょうど囚人が監獄から脱出sるうように、人間は自分の頭から脱出した。

 人間は自分自身を超えたところに、罪の禁止である神ではなく、禁止を知らないひとつの存在を発見した。わたしがそうであるものを超えたところで、わたしはひとつの存在に出会う。それは頭を持たないゆえにわたしを笑わせ、罪と無垢から成るゆえにわたしを不安で満たす。それは左手に鉄の武器を持ち、右手に聖心臓に似た炎を持っている。それは々ひとつの噴火のうちに<生誕>と<死>とを結びつける。それは人間ではない。それは神でもない。それはわたしではないが、わたし以上にわたしである。その腹部は迷路になっている。そこに彼は自分自身が迷い込み、彼と一緒にわたしをも迷わせる。そしてそこでわたしは、彼であるわたし、つまり怪物であるわたしをふたたび見いだすのだ。(『聖なる陰謀』、ジョルジュ・バイタイユ p.11-12)

 共同体に対して個人がその亜流にすぎないという性格は、歴史的研究から出てくる数少ない明白な事実のひとつである。人間は、統一的共同体から、その形態や存在を借りるのだ。相反するさまざまな危機の結果として、同じような統一的共同体が形成されるのをわれわれは見てきた。ということは、社会の病理も退行現象もなかったということであり、社会はたんに根源的な存在様態に戻った、きわめて多様な経済的・歴史的状況のなかで形成されてはまた再形成されてきたような、いつの時代にも変わらない構造に戻ったということである。

 人間存在がみずからの実存の根源的法則に対しておこなう異議申し立ては、いうまでもなく限定された意味しか持つことができない。複数の階級のあいだのあやうい均衡を基盤とする民主主義は、あるいは過渡的な形態にすぎないのかもしれない。民主主義は、偉大な事々をもたらすだけではなくて、解体の卑小な事々をももたらすのだ。

 統一主義に対する異議申し立ては、かならずしも民主主義的な方向でおこなわれるとはかぎらない。それはかならずしも「こちら側」の名のもとにおこなわれるとはかぎらない。人間実存の諸可能性をわれわれは、今や単頭的社会形態の「向こう側」に置くことができる。(『命題』、ジョルジュ・バタイユ p.72)

 民主主義は、比較的弱く自由な対立関係和解を基盤として成立する。民主主義は、あらゆる爆発力の凝縮を排除する。単頭的社会は、人間自然干す奥の自由な遊戯から生まれるが、それが二次的に形成されたものであるときにはかならず、たえがたい実存の萎縮と不毛となってあらわれる。生と力に溢れた唯一の社会、唯一の自由な社会は、生の諸々の根源的な対立関係に、たえず、ただしもっとも豊かな形態に限って、爆発のはけ口を与えるような、二頭あるいは複頭の社会である。(『命題』、ジョルジュ・バタイユ p.74)

 他の者たちが神の現前をまえに哲学したのと同じようにして、ニーチェはいわば、神の不在の現前をまえに哲学した。これはおそらくずっと過酷なことだろう。キルケゴールは「神をまえに」している。ニーチェは神の腐敗した死体をまえにしている。それどころか、キルケゴールが神は私の死を欲すると考えたのに対し、ニーチェは、人間はたえずあらたに神の死を欲しなければならないと考える。この死はたんなる事実ではない。それはひとつの意思の行動である。人間が真に偉大で、真理を語り、創造する者となるためには、神は死ななければならない。神は殺されなければならず、神は不在でなければならない。人間から神を奪うことによって、わたしは人間に大きな贈り物をするのだ。つまり、完全な孤独という、同時に偉大さと創造の可能性という、贈り物である。(『ニーチェと神の死』、ジャン・ヴァール p.83)

 権力勝手気ままなものとして存在する。それは与えられた恩寵である。権力とはいかなる理由も根拠もあるはずのない聖なる力である。諸々の理由は後から与えられるものであり、決して予めあったわけではないからだ。上ではなく下に付随するものだ。日々の糧や異性を追求めること、「自身の存在に固執する性向」、あるいはよく言われる「生存競争」などと同様、権力人間をつき動かす。人間世界の動きは磁場の作用さながらである。(『哲学者ディオニュソス』、ジュール・モヌロ p.135)

 キリスト教は、色情的な興奮と恍惚という二つは別のものであり、恍惚は肉欲を超えた次元、世界に属するものだと布告した。それに対しドン・ファンは、神の被造物たる女達について多くの経験を積みながらも、神にも生きるために神を必要とする者たちにも一切とりあわず、われ神にあらずば神は無しとでも言わんばかりの振舞いである。「嘲りと賭けの大テーブルに陣どり」、一向に良心の呵責などおぼえる様子もなく、たとえ超自然のかざす卑怯な武器といかさまカードで不利な戦いを強いられようとも、彼は最後までとことん勝負する。神とその神に今なお従っている世界(それも何時まで続くやら?)との最後の結託も、かえって彼の朝鮮がどこまで徹底したものかを示すにすぎないだろう。ドン・ファンがあるいは暴力により、あるいは術策を弄し、無理やりにでも手に入れようとしたディオニュソス的状態、それが明るみに出すのはあるがままの生の姿であり、たとえそれが「別の生」のように見えたにせよ、それはただ本然の姿からそれほど遊離していない生であるからにすぎない。ドン・ファン神話人間の本性である抑えがたい欲望をわれわれに語っているのであり、人間たちは、頭で作り出した平等や習慣的なものへの譲歩を超えて、その欲望の内でこそ交感を果たすのである。その欲望を具現できるのは神話的英雄の特権であり、ここに全人類は、異論のある者は別として、より良き時代の到来まで無期限でその権限を彼に委譲する。(『哲学者ディオニュソス』p.141)

 ニーチェは、ねたみ(invidia)のすべて、またテーヌに倣って彼がルサンチマンと呼んだもののすべてを、徹底的に軽蔑していた。誰もが知るように、ルサンチマンという語で彼が言わんとしているのは、抑圧されて内に籠り、幾度となく反芻するうちに根深くなっていき、人の性格をとけどけしく悪意あるものにするような感情である。しかしこルサンチマンという語には、現在ではほとんど忘れられてしまってはいるがもう一つ別の意味がある。それは、人にはむかう純血の獣のように、受け入れることのできない人間、あきらめることを知らない人間の抱く憤りである。もうずっと前からそうだが、創造する者は既存のものに逆らってしかほとんど創造できないのであり、「誘惑者」は創造をうながす高貴なルサンチマン、聖なる怒り無くしては存在し得ない。それを知るニーチェはこう語る。「ほとんどの天才は、自分の成長の一時期として激しい敵意に満ちた(=カティリナ的)を経験するが、それは既存のもの一切に対する憎悪復讐の感情である……カティリナとはつまり、あらゆるカエサルの前身なのだ。」カティリナ的生とは試練の時が始まる前の、まだ神話的英雄を隠蔽している時期に当たるだろう。(『哲学者ディオニュソス』p.146)

 ブレイクのある格言は、もし他の人たちが狂人でなかったとすれば、われわれがそうであるに違いない、と言う。狂気を人間の全体性の外へ締め出すことはできない。というのもその全体性は狂人なしには成就することができないからである。われわれのかわりに――狂人になったニーチェは、こうしてこのあり得べき全体性を回復させたのだった。そして彼より前に理性を失った狂人たちは、これほどの輝きをもってそうすることはできなかったのである。だが、ひとりの人間が自らの狂気を同類たちに贈るとき、その贈与を同類たちが受け入れたら、必ず利子をつけて返すのではないだろうか?そしてもしその利子が、ひとりの他者から狂気を豪家な贈り物として受け取る非理性でないとしたら、それを埋め合わせるのはいかなるものであり得るのか?(p.211-212)

 そしてレーヴィットの反論はこんな風に表明される。すなわち、問題となっているのは、われわれが全体性の真実偶然の瞬間において把握することを可能にしてくれるような倫理的意思というよりは、むしろわれわれの無責任性の自覚である。実存としてわれわれが自分たちの過去の「事実性」にまったく関与しないことは耐えられない、だからわれわれは意思として自分の実存について責任を採りたがるのだ。純然たる実存としてのわれわれは責任を取ることなどできはしないのに。それゆえに循環的な永遠性の概念形成だけが、ニーチェ的なよくすることと、ニーチェ的理性によって実現される必然性とを和解させることができるのだ。この時から、とレーヴィットは言う、その教義において、あるときはひとつの霊感の表現が、またあるときはひとつの決定の表現が確認されるのである。(p.107)

『スペクタクルの社会についての注解』ギー・ドゥボール,現代思潮社

 政治的なことか?社会的なことか?どちらかを選ばねばならない。一方であるものは他方ではありえない。自分自身で選ばなければならない。われわれが口笛を吹いてせき立てられる。すると、その仕組みが誰のためのものかが分かる。それゆえ、小学生が、読書――それは、どの行を読むにも真の判断が必要とされ、唯一、反スペクタクル的な広大な人間経験に通じる道となりうるものだが――については常にますます無知になりつつある一方で、幼いころから、まず最初に情報処理の<絶対知>から熱狂的に学び始めるようになってきていることは、何ら驚くべきことではない。なぜなら、会話はほとんど死に耐えてしまい、やがて、話すことのできる者も多くが死んでしまうだろうからである。(p.47)

 この貧しいスペクタクル的思考を奥底まで、しかも、自分の成長の他のどんな要素よりも強く刻み込まれてきた個人は、したがって、その主観意図がそうした結果とまったく逆のものであったとしても、最初からいきなり既成秩序に仕える場に身を置いている。そのような個人は本質的スペクタクル言語を見習うことになるのである。それは彼にとって親しい唯一の言語だからだ。おそらく彼は、自分がその言語レトリックの敵であると見せたいと思うだろう。しかし、自分が用いるのはその言語の構文なのである。これこそスペクタクルの支配が手に入れた成功のもっとも重要な点の一つである。(p.50)

 個性消失は、スペクタクル規範に具体的に従った生活条件に、不可避的に付随するものである。この生活条件は常にますます本物の経験を知る可能性から切り離され、その結果、自分の個人的好みを発見することからも切り離されている。逆説的なことに、そのような社会において少しでも重要視されたいと望むなら、個人は絶えず自己を否定しなければならなくなるだろう。この生活は、実際、常に変わりゆく忠誠と、偽りの生産物への絶えず失望に終わる賛同とを前提としている。価値の下がった生の記号に送れないように早く走ることだけが問題なのだ。麻薬が、こうした事態に適応する助けとなり、狂気が、そこから逃げる助けとなっている。(p.51)

 市場において開発可能な部門の境界を確定しそれを維持するための販売促進‐管理支配のネットワークが成長するにつれて、その事情に通じていて、自らもいっそう手助けすることを拒まない人々に対して、拒むことのできない個人的サーヴィスの数も増大してゆく。

必ずしも警官や、国家の利益もしくは安全の門番だけがそれに当てはまるのではない。役人間の共謀は広範囲に、しかも長期にわたって伝わってゆく。というのは、彼らのネットワークは、ブルジョワジーの時代の自由の活動においては不幸にも常に稀であった感謝と忠実の感情を押しつけるあらゆる手段を有しているからである。(p.104)

 危機的状態にあるスペクタクルの支配の本質的矛盾は、それが失敗したのはそれが最も強かった地点、ある種のありふれた物質的満足を生み出した所であったという点にある。それらの物質的満足は、他の多くの満足を排除したものだったが、生産者消費者大衆を繰り返しひきつけておくにはそれで十分だとみなされていたのである。しかし、まさにその物質的満足を、スペクタクル社会はどこでも、制約と、欺瞞と、血の中で始まった。だがそれは、その後の幸福約束していた。自分が愛されると信じていたのだ。しかし今では、スペクタクルはもう何も約束しない。それはもう、「現れるものは善く、善きものは現れ出る」とは言わず、ただ単に、「それはこんな風である」と言うだけだ。個々のどんな事物も最悪のものに変質させる変化ではあるが、変化こそが、スペクタクルの本性そのものであるのに、スペクタクルは、自分がもはや本質的には改革不可能であることを、率直に白状している。スペクタクルは自分自身に対する自らの全面的幻想をすべて失ってしまったのである。(p.156)

『日本中世都市の世界』,網野喜彦,2001,ちくま学芸文庫

 とすると、博多の盛り場が中州という地名であることは、決して偶然ではないので、森栗茂一大阪を中心として多くの事例をあげ、墓地がことごとく後年の盛り場となったという、まことに興味深い指摘をしているように、「聖地」であり、無主の「葬地」ともなりえた中州が、都市の中心としての盛り場になったのは、当然のことといってよかろう。(p.98)

 南北朝末から室町初期の成立といわれる『庭訓従来』が、その四月の書状で、「市町の興行」のさい招きすえるべき輩として、鍛冶、番匠、獅子舞遊女医師陰陽師等々、各種の「職人」をあげ、京、鎌倉、宰府、室、兵庫、淀、河尻、大津坂本等に言及しているのは、周知のことである。しかしこれは決して単なる「職人尽」ではない。実際、前述した諏訪社をはじめ、「九品念仏、管弦連歌、田楽、猿楽、呪師、クセ舞ヒ、乞食、非人」が近隣諸国から集まり、たちまち大堂が建立されたという鎌倉末期の播磨国蓑寺(『峯相記』)のように、このころになればそれまで遍歴していた「職人」たちは、こうした寺社の門前をはじめ、関渡津泊等にぞくぞくと集住、定着し始める。いうまでもなくその背景には、農業をはじめとする社会的生産力の発展、非農業的な産物・作品に対する需要の増大があったのであり、商人手工業者としての職人、芸能民の分化も進行し、星雲状態にあった都市はここにくっきりとした姿を現してくる。(p.145)

 この本来の意義に近い例として「結城家法度」の「公界寺」をあげることができよう。それは氏寺と対置され、結城氏の支配、保護下にない寺をさしており、同性質の寺を今川氏の場合は「無縁所」といっている(例えば「大通院文書」『静岡県史料』第五輯)。公界が前出した無縁とほぼ同義であることはこれで明らかであり、イエ的、私的な支配、保護、扶持等の縁と関わりのない状態を意味しているが、それは中世前期のそれよりもはるかにきびしく具体的な意味を、消極的にも積極的にも含んでいた。

 例えば京中の「無縁所」に若干の銭をつけてほうりこまれた人は、餓死する運命に立到っている(「真継文書」)。また「公界往来人」に准じられることは、家人にとって主の私的保護から見放され、敵に殺されようとなんらの援助もうけられないという一種の処罰を意味していた(『大内氏掟書』一四三条)。ここに、ふつう「無縁の乞食」という言葉からうける悲惨の陰を見出し、領国から追放され、あるいはついに定着するすべを失い、流浪・遍歴に身をゆだねなくてはならぬ人々の姿を思い浮かべることは可能である。(p.168)

 そして、このように時宗と声聞師の集団が西の京にいたとすると、鉢たたきをこれらに結びつけることも、十分可能となってくる。瓢をたたきながら遍歴する鉢たたきは、市聖空也、捨聖といわれた一遍に自らの起源を結びつけているが、さまざまな系統のある狂言「鉢叩」のうち、和泉流大蔵流北野社の末社である瓢の神――福部社の影向を中心の趣向しているのである。とすれば、鉢たたきの一集団がこの西の京に、時宗・声聞師と密着して活動していたとしても、とくに不自然ではなかろう。(p.226)

 そしてこうした一向宗と競合しつつ日蓮宗、さらにはキリスト教も、同じく都市民に教線を伸そうとしているが、十六世紀末から十七世紀前半にかけての織豊政権江戸幕府によるこれらの宗教に対する徹底した弾圧によって、検地に基づく石高制という租税制度を採用し、建前の上では「農本主義」を強く前面に押し出した世俗権力は「重商主義」的な宗教勢力、自立的自治的な都市を圧迫し、近世国家が確立する。

 その結果、それまで僧形の人の多かった商人金融業者、廻船人、職人などは、これ以後、俗人となり、商業、金融業それ自体から神仏の色彩が少くとも表面から消え、世俗化が決定的となる。またこの国家による武士と百姓、町人と百姓の身分の分離によって、町と村と行政的な区別が別確になるが、そのさい、中世末までに形成されていたきわめて多数の都市の大部分か、「村」に位置づけられ、都市民は百姓と無高民――水呑・頭振等にされたのである。(p.410)

2005-07-17

『真理とディスクール』より

このように、パレーシアの機能は、だれかに真理を示すことではありません。批判する機能を果たすのです。聞き手や話してみずからを批判するのです。「あなたはこのように行動し、このように考えている。しかしそれはしてはならないことだし、そのように考えるべきではないのだ」と批判するのです。あるいは「あなたはこうふるまっているが、それは正しいふるまいではない」。「わたしはこうしたが、それは間違っていた」。パレーシアは批判という形式を取ります。そして聞き手を批判するか、話してみずからを批判するかを問わず、話してや告白者はつねに、聞き手よりも低い地位にあるのです。

パレーシアステースはつねに、聞き手よりも力をもたないものです。パレーシアは「下から」音連れます。いわば「上に向かって」語られるのです。古代ギリシアでは、文法を教える教師や、自分の子をとがめる父親がパレーシアステースと呼ばれなかったのは、そのためです。しかし哲学者が僭主を批判するとき、ある市民ポリスの大多数の人々を批判するとき、生徒が教師を批判するとき、語り手はパレーシアを行使していると言えるのです。

注意していただきたいのは、だれもがパレーシアを行使できるというわけではないことです。エウリプテスのある悲劇には、市民としての地位を認められていない牛飼いがパレーシアを行使する場面がありますが、多くの場合、パレーシアを行使するためにはパレーシアステースは、自分の生まれや地位を認識していることが重要でした。パレーシアステースとして真理を語ることができるためには、まずポリス男性市民である必要があったのです。(p.19-20)

この人物のパレーシアはここでは貶めた否定的な意味で使われていますが、カマテイという言葉は、マテーシスがないことを意味しているので、カマテイ・パレーシアとは、この人物のパレーシアにはマテーシス(教養や知恵)が書けていることを示しているのです。パレーシアが政治的に好ましい効果を発揮するためには、優れた教育(パイデイア)と、知的で道徳的な教養(マテーシス)に基づいたものでなければならないのです。パレーシアにはパイデイアやマテーシスが必要なのです。それでないと、パレーシアはたんなる騒がしい発言(トリュポス)にあなってしまいあます。発言者がマテーシスなしにパレーシアを酷使すると、「カマテイ・パレーシア」になり、ポリス政治は恐ろしい混乱に陥るのです。(p.100)

このように、パレーシアの聞きとは、じつは真理の<問題>であったことが明らかになってきたと思います。アテナイでは、だれもが自分の意見を語る平等な権利が、制度として保障されていましたが、<問題>となってきたのは、だれがこの制度の枠を越えずに、真理を語ることができるかを、見分けることにあったからです。民主主義そのものには、心理を語るために必要な特質や、真理を語る権利を手にする為に必要な特質をもっているのは誰かを、決定する力はありません。そして言語活動としてのパレーシアは、発言における純粋な率直さにすぎず、真理を開示するための十分な条件ではなありません。悪しきパレーシアがあり、無知なままに放言することも、パレーシアの一つだからです。(p.110-111)

プラトンでは、そしてプラトンが描くソクラテスでは、ロゴス、真理、法の関係を問題にする政治的なパレーシアを、どのようにしてロゴス、真理、生の愛だの倫理的なパレーシアと一致させるかが、重要な課題となりました。哲学的な真理と道徳的な徳は、どうすれば法を通じてポリスに関係させることができるでしょうか。この問題が『弁明』『クリトン』『国家』『法律』を通じて考えぬかれているのです。

たとえば『法律』にはとても興味深いテクストがあります。ここでプラトンは、ポリスがよき法律によって当地されていても、だれかがパレーシアを行使して、市民たちにどのような道徳的な振舞いが求められているかを示す必要があると語っています。プラトンは、法律を擁護する者たちと、パレーシアステースを区別しています。パレーシアステースは法律が正しく適用されているかどうかを監視するのではなく、ソクラテスのように、ポリスにとっての善とはなにかという真理を語り

倫理的で哲学的な立場から、助言を与えるのです。プラトンテクストにおいて、パレーシアを行使する人間が、法律の分野における政治的な人物像となっているのは、ここだけだと思います。

ソクラテスの教えを継いだキュニコス派伝統では、法律と生の関係という<問題>においてこの二つは直接に対立するものになります。この伝統では、キュニコス派哲学者だけが、パレーシアテースの役割を果たすことができると考えられているからです。そしていずれディオゲネスについてお話しますように、キュニコス派哲学者は、あらゆる種類の政治的な国制にたいして、そしてあらゆる種類の法にたいして絶えず否定的で批判的な役割を果たさなければならないのです。(p.153)

技術を実際に使う際には、特定の状況を考慮にいれる必要があるのですが、これはギリシア語ではカイロス、決定的な瞬間と呼ばれています。この決定的な瞬間、機会を指すカイロスという概念は、認識論的、道徳的、技術的な理由から、ギリシアの思想ではつねにじゅうような 役割を果たしてきました。ここで興味深いのは、フィロデモスはパレーシアを操舵術や医学と比較しているのですが、このときには、パレーシアは個々の事例、特定の状況、決定的な瞬間(カイロス)の選択と結びついた技術とみなされているということです。現代的な言葉で表現すると、操舵術、医学、パレーシアの実践は、どれも「臨床的な技術」だということになります。(p.165)

リキッド・モダニティ』より

今日的状況は個人の選択の自由、行動の自由を制限すると疑われる手枷、足枷がことごとくとアkされた結果生まれたといえるだろう。秩序の硬直性は人間の自由が蓄積された結果であり産物である。硬直性は「ブレーキをはずし」、規制緩和し、自由化し、「柔軟化し」、流動化が促進され、金融、土地、労働市場が開放され、減税がおこなわれた結果生じた(一九八七年、「止め具、足枷、ブレーキ」でのオッフェの指摘)。あるいは「スピード、逃避、受け身」の技術、また、別のことばでいえば、自由な個人が体制とかかわりあいにならず、体制との衝突を迂回する技術が進んだ結果生じた(リチャード・セネット『肉と石』)。革命の時代が終わったとすれば、それは統制デスクがおかれるような建物を体制がつくらなくなったからであり、革命家が突入し、占拠するような体制の象徴がなくなったからである。また、建物を占拠したとしても(当然、それを最初にみつけなくてはならないが)、革命家を革命にかりたてた不幸を根絶するため、かれらになにができるか、ほとんど想像できないからである。社会秩序を変革する前提として、まず、個人的苦悩の解消をはっきり意識化できるのが革命家の革命家たるゆえんであるが、そうした素質をもった人材が不足していたとしても、いまや、だれも驚かない。(p.8)

現代社会は批判にたいして寛容でないという意見を、ときおり耳にすることがある(現代社会とは、ポストモダンと呼ばれる後期近代社会のことであり、ウィリッヒ・ベックが「大にの近代」といい、わたしが「流動的近代」といったほうがふさわしいと考える時代の社会のことである)。現代社会が批判にたいして寛容ではないと考えるのは、「寛容・不寛容」の中身が歴史的に普遍だと思いこみ、現代的変かの特殊性に気づかないからだ。現代社会の「批判にたいする寛容さ」は、昔とまったく違った意味での寛大さなのだ。現代社会 は批判をうけいれつつも、それに傷つかないよう、批判をみずからの内部にとりこみ、手なづけてしまう法途を手に入れたから、寛大でいられるのである。また、寛大さがどんな結果をもたらそうとも、現代社会は影響をうけないから、開かれた政策がどんな苦難や試験をもたらそうとも、現代社会は傷や損害をうけず、弱体化されるどころか、補強されるから、寛大でいられるのである。(p.31)

しかし、つぎのことは確認しておこう。いまも昔も、流動的で計量な段階の近代においても、堅固で重厚な段階の近代においても、個人化は宿命であって、選択ではなかった。個人に選択の自由はゆるされても、個人化を逃れ、個人化ゲームに参加しない自由はゆるされない。個人的選択、充足もまた、選択の自由同様、一種の幻想であるようだ。現代人は挫折や不満を、他人のせいにすることができないといっても、昔にくらべて、かれらが自力で挫折からわが身を守れるようになったわけではない。ましてや、ミュンヒハウゼン男sンはく式のトリックをつかって、困難を脱出できるようになったわけでもない。病気にかかると、そもそも、健康管理始動をまもらなかった からだと逆に責められる。また、失業者が就職できないのは、さしづめ、技量の習得を怠ったか、仕事を真剣に探していないか、たんに仕事がきらいだからだと勘ぐられる。個人が仕事や自分の将来に自身がもてないのも、友人をつくることや他人を説得することが苦手だからか、自己主張の術と、相手に好印象を与える能力を習得していないからだときめつけられる。とにかく、だれもがこうした見方の真実性を疑わないのは、これが真実だと信じさせられているからだろう。ベックがもの悲しいいい方で、いみじくも語ったように、「組織の矛盾は人間の生き方によって伝記的に解決」されるのだ。(p.45)

可能性にあふれた世界とは、大食感でさえすべて味見するのがたいへんなほど、美味珍味が並べられたバイキングのようなものである。バイキングの客は消費者のことであり、消費者にとってももっともやっかいうで、いらだたしい問題は、優先順位の決定である――どのさめ去れていない選択肢を放棄し、どの選択肢を試されないままにしておくかという、皮肉なまでに贅沢な順位づけ。消費者の苦悩は選択肢の欠如でなく、氾濫からくる。「自分は手段を最大限行こうに活用しただろうか」というのが、消費者につきまとう、頭の痛い問題なのだ。消費物資の売り手に監視のある経済学者たちが共同でおこなった研究で、マリーナビアンキはつぎのようにのべている。

消費者の場合、客観的役割は……ゼロである……

目的と手段はあきらかにがっちしているが、目的は理性的に選ばれたわけではない……

想像するに、まちがいを犯さないのは、あるいは、まちがいが見破られないのは、会社ではなく、消費者のほうだ。

しかし、消費者が過ちを絶対犯さないとしても、消費者が正しいとはかぎらない。行動に過失がないとすれば、行動の良し悪しも決定できないはずで、行動のさまざまな選択肢のなかからだ、正しいものを選ぶことはできない――選択がなされる前でも、後でも、まちがいを犯す危険性がないということは、幸福であり不幸でもある――まちがいを犯さない代償は、永久の不安と、満足のえられない欲望であるから、疑わしい喜びなのだ。商品の売り手にとって、これは継ごうのよい報せ、商売がなりたつ根拠だが、買い手にとっては苦悩継続の理由である。(p.81-82)

トークショー中毒を、人間のゴシップ欲を反映した「低俗趣味」だと批判するのは、侮辱であり、認識の誤りであり、誤解である。手段だけが豊富存在し、目的があやふやな世界にあって、トークショーは人々の真剣な要求にこたえるという、現実的価値をもっている。なぜならば、視聴者は人生から最良のものをひきだせるのは、本人だけだと知っているからである。また、それをひきだすのに必要な資質は、本人の技術、勇気、忍耐力でしかなく、したがって、同様なことにとりくむ他者の様子を知ることも必要になる。視聴者がまったく気づかない、奇跡的戦略をもった人間が「いるかもしれない。視聴者が十分注意をはらわなかった、あるいは、深くまで掘り下げたことのなかった、「内側」の領域を探索してきた人間が、ひょっとしているかもしれないのだ。(p.89)

2005-07-16

『可能なるコミュニズム』より

これは戦後の初期から、全共闘の時代にまで存在した問題である。事実学生運動しかなかったにもかかわらず、それがいつも否定されてきたのである。その結果、日本では、労働運動のみならず、学生運動そのものが実質的に消滅してしまった。私は、それがポスト産業資本主義あるいはポストモダニズムに固有の現象だとは思わない。それはむしろ日本的な現象である。実際には、学生たちは何かをやりたがっている。しかし、そうすることができないのは、かつての新旧左翼が亡霊のように徘徊しているからである。阪神大震災の時、私は多くのヴォランティア学生を目撃したが、それはまさに学生運動であった。もともと学生運動根本的にヴォランティアだったのだ。それを否定する理論学生運動を破壊したのである。(P.12)

柄谷[……]マルクスは「ヘーゲル国法論批判」において、ヘーゲルのその件を引用しながら、それを無視しています。これは、この時期の彼が経済学において、古典経済学の労働価値説にそのまま従っていたことと平行している。彼は、貨幣はたんに価値の表示物であり、労働の自己疎外態である、と考えていた。しかし、『資本論』の段階では、マルクスは、重商主義=重金主義をあざ笑った古典経済学者に対して皮肉を言っている。なぜなら、ふだんは貨幣など価値の表示手段しかなかったのに、強行のときに、人々が追い求めるのは貨幣だからです。要するに、例外状況が、貨幣の本質をあらわすのであって、それは国家に関しても同じです。(p.177)

資本の欲動とは、物への欲望ではなくて、等価形態に立つこと、言いかえれば、交換可能性の権利を獲得することへの欲動です。資本の反復脅迫とは、ここから来るのです。しかし、これを抑制することはできないだろうか。第一に言うべきことは、これが自動的に消滅することはないということです。資本制は放っておけば、どんなに犠牲が出ようと永続する。差異がなくなれば、差異を作り出す。(p.195)

『魂の労働』

有償化された介護労働あるいは感情労働に従事する者は、通常二種類の関係に身を置くことをヒルワイトは指摘している(Himmelweit 1999 p.35)。顧客(介護される側)との関係と、雇い主との関係である。このことは介護労働者や感情労働に従事する者の<労働>が、産業労働のそれといかに異なっているかを説明する。産業労働者が自己の労働を、自己の感情とは切り話すことのできる<商品>として扱うのに対して、介護労働や感情労働に従事するものは、看護される側(顧客)と長期、短期的な信頼関係 にコミットしているがゆえに、十全にその感情労働を商品化することができない。それゆえつねに、顧客に対する<感情>や<配慮>を優先させるか、それとも労働の<商品化>を優先させるかを決めかねる困難なポジションにあるといえる(ただし、ある意味で感情労働に従事する者は<感情>を<商品化>しているともいえるが、それが困難であることには変わりはない)。(p.30)

顧客による採点表などの実践に端的に現れるように、これは従来の経営者からの(「上からの」)

指令――それは必然的に抵抗の主体や対抗的文化を職場無いに作り上げることを用意にする――をいわば消費者からの指令に起きかえる。高い「クオリティ」への顧客の「ニーズ」という指令は、経営者労働者双方の垣根をいともたやすくとリア払う。それゆえそれは「不信」から「信頼の風土」へ、「労働者文化」から「企業文化」への文化とアイデンティティの転換を伴う(Newman and Clarke 1999 p.4)。こうしてそれは労働者の「経営参加」を要請し、労働者が自らの感情に働きかけて「自発性」を引き出すよう促すのである(Perers and Wateman 1983)。(p.34)

<コミュニティ>への訴えかけによってわれわれが誘われるのは「労働」ではなく「活動」である。この戦略は<公的なもの>と<私的なもの>に関するわれわれの表象を"脱構築"する。すでに見たように、それは従来私的なものとみなされていた「自己実現」と、公的なものとみなされていた「義務」ないし「活動」(アーレント)を同一の次元に流しこむからである。そこではフレキシブルな低賃金労働が「活動」と称され、これに耐えることが「禅」なのである。いわばネオリベラリズムによるハンナ・アーレントの開くようは、世界を古代ギリシアポリスの「テーマパーク」として再開発しつつある。われわれに求められているのは、<市場>と<コミュニティ>の結託による、たちの悪い脱構築の種別性を見抜くことであろう。(p.67)

消費社会の貧困者には「何も残されていない」。この過酷な現実をバウマンはこう表現する。「消費者天国には独特の手ごろな地獄が待ちかまえている。非合法な来訪者には」(Bauman 1987 訳 266頁)。

労働倫理が支配的な社会では、たとえば何かしら忙しそうにすることによって貧困者は取り繕うことができた。そうすることによって「怠惰」という道徳的非難を免れることができたわけであり、スティグマを払拭することができた。しかし消費美学が支配的な社会では、貧困から脱出し、豊かな消費生活をじっさいに生きる以外に、貧困者は事故に対する「アブノーマル」という非難を払拭することができない(bauman 1998 pp.39-40)。つまり、消費社会において貧困者は定義上、その存在が――行為ではなく――「欠陥」であり「罪悪」なのである。(p.90)

現在、「自己責任」――「リスク受け入れよ」――のスローガンとともに若者に向けられるメッセージは、彰かに矛盾したダブルインドメッセージである。それは一方で「自分の将来や老後を自分で備えよ」(=「国や企業に頼るな」)である。しかし同時に発せられるのは「あらゆる長期計画(=長期的安定性)を放棄せよ」である。長期的な見通しが不可能となるなかで、自分で長期的な見通しをたてよ。労働市場が流動化し、非正規不安定雇用層が増大するなかで、社会保障自己責任化を貫徹せよ(たとえば 401k)。ネオリベラル言説がこの不可能なメッセージ若者に期待するのは、不断に自己を励まし、不確実な未来を臨機応変に積極的に切り開く人間であろう。しかしバウマンも私的するように、「流砂のなかではいかなる永続的なものを築くことはできない」(Bauman 1998)。若者たちはこの分裂したメッセージに対処するために、宿命論を招き入れざるをえない。もはや自己の将来を想像することは禁じられているからである。ネオリベラリズムプログラマーが想定するユートピアとは裏腹に、自己責任言説がハイ・テンション自己啓発にむすびつくことは きわめてまれである。われわれの経験では、自己責任言説は、より低いテンションのの宿命論により親和的である。(p.109)

ところで民主主義にせよポピュリズムにせよ、どちらの場合も敵対性は政治的ないし公的な形態をとる。だが、ムフがここで示唆するように、敵対性は政治的な形態をとらず、私的なあるいは身体的な文脈においてはけ口を見出す場合がある――たとえば、失業という、従来みとめられていた個人の権利が否定された状況へのリアクションが、自殺飲酒家族暴力へと転位する場合のように。したがって、コントロール社会と呼べる状況にあっては、敵対性は消滅したというよりも、個人レベル、あるいは身体のレベルへと転位したというほうが正確かもしれない。たとえばドゥルーズは、コントロール社会では敵対性が競争心を煽る方向に水路づけられていると指摘する。「企業のほうは抑制のきかない敵対関係を導入することに余念がなく、敵対関係こそ健全な競争心だと主張するのである。しかもこの敵対関係が個人対個人の対立を産み、個々人を貫き、個々人をその内部から分断する」(Deleuze 1991 訳 293頁)。このことは、社会における敵対性の増殖が沈静化したように見える八〇年代の日本において、企業内部では競争がむしろ激化したことを想起すればよいだろう(熊沢 1997)。

この統治のイデオロギー権威主義的で強権的であるが、その反面、きわめて温情主義的な側面をもつ。この統治形態の分析が、『知の意志(性の歴史)』を経た後の、後期フーコーの主題の一つであったことはあまり注目されていない。彼によれば、「よき統治」を目指す一群の技術/言説が一六世紀から十八世紀にかけて、ヨーロッパで広がっていった――これはハーバーマスの議論と対応している。それはいわば"福祉国家以前の福祉国家"といえよう。

2005-07-04

実存と虚存』より

待つこと、待ち得ることの異議はどこ迄も深まってゆき得るであろう。「待てば海路の日和かな」から、シモーヌ・ヴェイユの「神を待ちつつ」、そしてハイデッガーの「有の本質を思索し見守りつつ有の歴運の回転を待つ」まで。一方世界Aだけの世界になっている場合、われわれにとって最も出来ないことの一つが「待つ」ことといってよいであろう。われわれの世界投企、われわれの差配のうちに、われわれの計画の時間のうちに、すべてを取りこみ配列しようとする。しかも出来るだけ速く事を済ませて、次の事にとりかからねばならない。それに対して「待つという一つのことを教えられ」(歌は片山広子)。誰かから教えられたのではない。また、他から教えられて学び得る事ではない。「髪白き老に入る」までの自分の人生の経験そのものから教えられたのであり、その長い経験を生きて「髪シロキ郎」の今、待つことが出来るのである。(P.23)

開いて限る、限って開く、その境界としての地平線は、あくまで我々との相関をなして我々に現れる故に、われわれが動けば、われわれの動きにつれて地平線も共に動いていく。我々が高く上っても地平線の上にでることは出来ない。地平線は共に登ってゆく。我々が先に進めば進むほど、地平線も後ろに退き、我々は地平線に近づくことは出来ない。このようにして「人間は地平線に到達することは出来ない……地平線を踏み超えることは決して出来ない。それは一つの絶対的境界である……我々は地平線の内側(こちら側)於てのみ生きている。」(赤道の場合には、それを越えるということがありうる)しかしそれは、限界的状況における特殊な経験の場合は別として、我々を閉じ込めるような境界なのではなく、むしろ逆に、その相関の場を我々に対して場として開きつつ限るということによって、見通し得る具体的な場とする。地平線は、「人間を中心としてその周りの空間をひとつの有限で見通し得る周囲世界へとまとめる。」そして、我々が進めば進むについれて地平線も退いてゆくのは、それによって地平線が我々を「遥なところへと誘い」、「空間内に突き進めてゆく運動の自由」を我々に保証することになるのである。(P.76)

第一には原初的差異の事態である。テオファニー(神の顕現)によって特定の領域が周りの空間から切りはずされて質的に変化せしめられ、コスモス化されて我々にとっての「世界」が成立するわけであるが、このような「世界の創建」(Weltgrundung)は同時に原初的な根本差異の現出を伴っている。エリアーデはそれをコスモス/カオスとして際立てて見ていく。コスモスである「我々の世界」とその外のそれを取り巻く未知の果てしない均質の空間、構造もなく形もないただの広がり、そこではすべてが相対的浮動的であり無定形無秩序のカオス。現実性に対して「絶対の非存在」。このコスモス/カオス根本差異は質的に断絶であり裂け目であるが、しかし静止固定したものではない。カオスはまさにカオスである故に、境界をまもることなく、コスモスかされた世界を絶えず繰り返し侵害し、「無に投げ返そう」(ins Nichts zuruckwerfen)とする。(P.130)

2005-06-19

ドゥルーズ 存在の喧騒』より

ドゥルーズの方法は、したがって媒介に頼ることを拒絶するひとつの方法である。だからこそそれは本質的に反-弁証法的なのである。媒介は立派にひとつのカテゴリーである。それは、ある存在者から別の存在者へと、少なくともそれらのうちの一方との内的関係の《下に》移行させることを求める。例えばヘーゲルにとって、この内部化された関係は否定的なものである。だが、そこには否定的なものがあるというわけにはいかないだろう、というのも一義的「存在」は一貫して肯定であるからだ。そこに否定的なものを導入することは、多義的なもののなかに、とりわけなかでも最も古いもの、ドゥルーズにとって《長きにわたる誤謬》を規定する曖昧さのなかに再び陥るということである。すなわち、「存在」はその同一性とその非-同一性の意味にしたがって言われるということ、それは「存在」として、そして/あるいは「無」として言われるということである。これが例のパルメニデスの《二つの道》である。(「存在」を肯定する道と「非-在」を肯定する道)。しかしドゥルーズはただちに反論する。《パルメニデスの詩においてそう信じられていたように、二つの”道”があるのではなく、最も多様で、最も変化に富んで、最も分化したそのすべての様態に関係する「存在」のただひとつの”声”があるのだ》(『差異と反復』、53[69]頁)。否定的なものを内部化することを求める弁証法的な方法、諸処の媒介の方法は、ただこの際限のない誤りの性質を帯びているだけなのである。(52p)

そのとき遡行が始まるのだが、存在者のひとつの分析にすぎない構造主義はその役には立たない。すなわち、どうしても非-意味意味を算出するために必要とされるようになったのかを思想することである。ただ一義性のテーゼだけがこの点を明らかにする。すなわち、もし「存在」が、それについて「存在」が言われることすべてについてただひとつの意味において言われるとすれば、それなら、諸々の構造機械によって算出された意味の多世界に照らせば、この(唯一の)意味は不可避的に非-意味として決定されるのである。いかなる構造機械もたしかにそれを算出することはできない。その代わり、この意味がその生産の可能性を(逆説的な観念的実態の標識のもとに)維持しているのである。ひとつの特異な装置が「存在」の意味を算出することができるとすれば、それはひとつの意味意味があるだろうからである。つまりそれは存在論とは無関係な、文字どおり神学的なテーゼであり、そしてそれは一義性を破産させる。意味意味はない、ということからは次ぎのような結論を引き出さなければならない。すなわち、「存在」の意味は完全に非-意味であると言うことができる、意味が生じるのは非-意味からであり、非-意味はまさしくすべての存在者への(存在論的)意味の一義的贈与であるとつけ加えるならば。(p62)

操り人形と小人』より

われわれが、現代における「文化」への言及に込められたもの、生活世界の中心的カテゴリーとして、出現した「文化」に込められたものを知るのは、おそらくここにおいてである。たとえば、宗教に関していえば、われわれは今日、もはや「本当の信仰心」をもっていない。われわれはただ、自分の属する共同体の「生活様式」に対する敬意の一環として(いくつかの)風狂的儀式や慣習に従っている(「伝統への敬意」からカシェル[清浄な食品]の掟に従う信仰心のないユダヤのように)。「わたしは実際にはそれを信じていない、それっはわたしの文化の一部なのだ」――実際のところ、これこそが、われわれの時代の特徴である、否認された/置換された信仰の支配的な形態であるように思われる。われわれはサンタクロースを信じていないが、毎年十二月になると、家だけでなく公共の場にまでクリスマスツリーが現れる。文化的な生活様式とは、この事実以外の何であるというのか。したがって、「真実の」宗教芸術などから区別されるものとしての「文化」という「非原理的主義的」概念は、おそらくその核心においては、個人から切り離された/非個人的な信念の総体に付けられた名前である。「文化」とは、われわれがそれを本当に信じることなく、「それを真剣に受け取ることなく」実践している事柄すべてに付けられた名前なのである。またこれは、科学が――科学はあまりにも真実である――この文化という概念に入らない理由ではないか。そして、これはまたわれわれが原理主義的な信仰者――彼らはあえて、みずからの信仰を真剣に受け止めようとする――を「野蛮人」として、半分かとして、文化にとっての脅威として切り捨てる理由ではないか。今日、われわれは結局、みずからの文化をそのままじかに生きているひとたち、文化に対する距離を欠いたひとたちを、文化にとっての脅威と感じている。(p15)

これは現代の哲学者によく起こることなのだが、支配的システム偽善に関する彼らの分析は、彼ら自身の素朴さを露呈させる。哲学者はなぜ、人々がみずから広言した価値観に損得感情から気まぐれにそむくのを目にすると、あいかわらずショックをうけるのか。哲学者は本当に、人々が首尾一環した原則に則ったこうどうをとることを期待しているのだろうか。ここでは、[そんな哲学者とはちがう]本物の哲学者を擁護すべきだろう。本物の哲学者を驚かすのは、それとは正反対のことである。すなわち、人々は「本当の信仰」をもっていない、広言された原則に則って行動しない、ということではなく、シニカル距離感と徹底した実利主義的御都合主義を標榜する人々が、みずから見とめるにやぶさかではない信仰心よりもはるかに強い信仰心をひそかにもっている――それは、彼らがこの信仰心を(存在しない)「他者たち」に押し付けたとしても変わらない――ということである(p16)

とはいえ、この軍国主義化された禅は禅本来の教えの曲解であるといったり、あるいは、前者のなかに禅の不吉な「真実」見出したりするのは、あまりにも単純すぎる話しである。真実はそれよりもはるかに耐え型い。禅がその核心において、相矛盾する性格を合わせもっているとしたら、あるいはむしろ、この二者択一にまったく無関心であるとしたら、どうだろうか。瞑想という禅の技法は――こう考えるのはおそろしいのだが――結局そうしたものであるとしたら?すなわち、きわめて平和的なものからきわめて破壊的なものまで、様々な社会政治上の目的に応じて利用できる精神的技法、倫理的に中立な道具であるとしたら?(この意味で、禅仏教アナーキズムからファシズムまで、あらゆる哲学政治と結びつくことが出来る、と力説した鈴木大拙は正しい。)そうだとすれば、「仏教伝統のいかなる側面が、そうした途方もない歪曲を招くのか」というややこしい問いに対する答えは、次のようになる。情熱的な哀れみと内面の平安を強調する、他ならぬその側面こそが、それを招くのだ、と。(p48)

アメリカ合衆国への移民が急増していた一九九四年、フィデロ・カストロアメリカに対してこう警告した、アメリイカがキューバ人のアメリカ移住を奨励するのをやめないのなら、キューバーは金輪際、その移住を阻止しないつもりだ、と。それから数日後、キューバ政府は実際にこの脅しを実行に移し、アメリカは好ましくない移住者の群れに悩まされることになった。これは、男らしさを誇示しながら言い寄ってくる男に、「黙んな、さもないとあんたが自慢していることを本当にしてもらうよ」と怒鳴り返す、よくいる女と似ていないだろうか。この二つの例に共通しているのは、やるならやってみろという態度である。ひとが本当に恐れているのは、自分の要求が完全に受け入れられることである――二つの前提になるのはこの事実なのだ。そして、今日の「ラディカルな」学者も、これと同じ態度に出られたら、パニックに陥るのではないだろうか。(p68)

ポストモダン起源

さて、目を「ポストモダニズム」に点じてみよう。「モダニズム」の場合に言えたのとまさに同じことが「ポストモダニズム」の場合にも言える。すなわち、ポストモダニズムという言葉が最初に登場したのは、一九三〇年代のヒスパニック社会であり、それがイギリスアメリカで登場するのは、やっと一世代後になってのことだったのである。<ポストモダニスモ>(ポストモダニズム)とういう言葉を作りだし、好評したのはウナムーノとオルテガの友人であるフェデリコ・デ・オニスであった。彼は、ポストモダニズムという言葉を、モダニズムそれ自体の内部に有る、或る保守的な逆流を表すのに使った。すなわちそれは、熱狂的なモダニズムの挑戦から身を避けて、細部やアイロニカルなユーモアの表現に沈潜する傾向を意味するものであった。そしてその黙せる完璧主義は、当時の女性作家が採用した新しい表現形式の中にその最も特徴ある姿を見ることができるようなものだったのである。さらにデ・オニスは、短命である(と思われた)この傾向と対比させて、それに後続する<超(ウルトラ)モダニスモ>(ウルトラモダニズム)という概念を作り出した。そしてそれをポストモダニズムとは対照的な姿で描いた。すなわち、超モダニズムとは、モダニズムの持つラディカルな衝動をさらに強い調子にまで高めたものである。そして具立ち駅にはそれは、厳密な意味での現代詩を生み出しつつあった一連の前衛芸術の流れを意味するものであった。今から振り返ればそのような彼の観点は、思想史の中で普遍的な理論的射程を有するものであった。(p10)

さて、この「平民化」という時代の変化に関して、ジェイムソンは、『時間の種子』の中で、それまでとは随分異なった論調で反省と考察を加えている。平民化とはそこでは、階級格差が知事待った、というよりはむしろ、社会的な差異そのものが単純に消失してしまう、ということを意味している。つまり平民化とは、或る集合的イメージの中で<他者なるもの>のカテゴリーが腐蝕され抑圧され、次第に消滅してしまうことを意味しているのである。かつては、ハイソイエティか仮想社会か、或いは自国民外人か、という明確なカテゴリー別けが成り立っていた。しかし今やそのような分割が消失してしまう。そしてそれらは、相互に交換可能なステイタスという幻想カテゴリーの中に、および偶然の不動性の中に解消してしまうのだ。そこではいかなる社会的地位と言えども、解きがたいほどの固有性など、もはや持ち得ない。かつては確固として存在した<異邦人>なる概念は、ただクローンとか異性人とかいう形で外部に投影されるしかなくなっていく。イメージの上での差異の形態は、このように変化した。しかしながら注意されなければならないのは、そのようなイメージの変化に現実に対応するのは、客観的で社会的な平等性とその増大という事態では決して兄ということなんどあ。そのような平等性は逆に、ポストモダン西洋社会は至るところで後退したからである。(p192)

さて、ポストモダンのスペクタクル文化は、独自のイデオロギーを生み出した。まさにそれがリオタールの著作をきっかけとして始まった「ポストモダニズム」というドクサなのだ。理論的にはそれはあまり重大な意義を持つものではなく、関心を引くものではない。それは厳密でない不正確な諸観念の羅列であるし、その結論は、結局は陳腐な決まり文句とへらず口を一歩も出ていないような代物でしかないからである。しかしながら、世間で或る考え方が流行するためには、必ずしも内容の一貫性など必要ない。逆に、世間での物質的利害にそれが一致するかどうかが重要なのだ。そしてポストモダニズムというイデオロギーは世間の利害とうまく一致したのである。その結果それは、きわめて大きな影響を世間に残した。その影響は単に大学の中だけに限定されたものではなく、一般の大衆文化の中にも広汎に広まっていった。(p198)

(-5/29)来るべきマルクスの為に(図書館の席は開けておきましょう)